悔い改める者は新しく生きられる~聖霊による教会誕生の夜明け前

使徒の働き1章12-26節より

2021年9月26日主日礼拝メッセージ

アメイジング・グレイス・キリスト教会

十字架で死んでよみがえられたイエスは40日間弟子たちに現れた後で天に昇られます。しかし、弟子たちはイエスが去ったにも関わらず非常な喜びに満たされてエルサレムに帰ります。そこで父の約束をただ待つのではなく、みんなが心を合わせ、祈りに専念しました。自分の罪のために十字架で死なれたイエスを知り、復活されたイエスを信じる者は罪から救われ、共におられる神を信じ、まことの喜び、祈りが与えられます。

この時、イエスの兄弟や、女性たちも共同体のメンバーに加わりました。性別、人種の壁を超えたすべての人が、キリストに罪赦され、ひとつの家族とされます。ユダヤ教の枠を超えた新しいキリストを信じる群れが生まれます。

十字架の前でイエスを拒んだペテロも立ち直り、120人の兄弟たちの指導的役割を果たします。そして、イエスを裏切ったユダの代わりに使徒を補充します。使徒に必要な資格はイエスと共に生き、十字架で死んでよみがえられたイエスの目撃者であることでした。

それは、キリストと共に生きるあなたでもあります。自分の罪のためにキリストが十字架で死んでくださったことを信じて、復活されたキリストと共に生きる者です。

ユダがイエスを裏切り、後悔して首をつって死んだことは、聖書に預言された言葉の成就でした。キリストは12使徒を選ばれた時に、ユダが裏切り、そして自分に戻って悔い改めないことをご存知だったのです。

銀貨30枚でキリストを売渡し、十字架でイエスが死んだからユダが滅びたのではないのです。罪を犯した後、人間に赦しを求め、自分の方法で罪の行いを始末しようとしたから神のキリストの前から滅びたのです。神の言葉は必ず成就します。

どんな罪や過ちを犯しても、キリストのもとに行き、悔い改めて、以前の生き方を改めるなら神はその罪を赦されます。あなたは死から救われ、新しく生きることができるのです。

「そこで、イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、こう言われた。『次のように書いてあります。キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。あなたがたは、これらのことの証人です。」

(ルカの福音書2445-48節)

弟子たちが集まり、心合わせて祈り、信じるすべての人に聖霊なる神さまが与えられる教会の時代の始まりです。ユダヤ教からキリスト教へとイエスの十字架により罪の赦しによる新しい契約の時代です。

キリストだけが、あなたを罪と死から救うことのできるお方です。

十字架の後も続く神の救いのみわざ~福音が世界を作り変える

使徒の働き1章1-11節より

2021年9月19日主日礼拝メッセージ

アメイジング・グレイス・キリスト教会

よみがえられたキリストは40日間、弟子たちにご自身を現され、キリストが今、生きておられる確かな証拠とされました。キリストの十字架の死と復活によって、この悪しき世の支配のただ中にあり、神の国をすでに実現しているのです。

キリストは弟子たちに、父なる神から与えられる約束を受けるために、エルサレムから離れないよう命じます。天地創造から始まり、キリストによって始まった神の国の民とされる救いのご計画は聖霊によって今も前進しています。キリストが地上を去っても、キリストはその働きを弟子たちを通して継続されています。

そのためにキリストの十字架の死と復活のみわざによる約束の聖霊を受けなければなりません。弟子たちは十字架のキリストの苦しみの前に、わが身を守り逃げ去りました。キリストが復活されたエルサレムは、今さらに危険な場所でした。しかし、彼らはそこを離れませんでした。やがて、聖霊を受け、神を信じて、従えなかった自分たちの罪の身代わりにキリストが十字架で死なれたことを知り、罪赦され、神の子とされ、新しく生まれ変わり、まことにキリストに仕えるものとされました。

誰でも、自分の罪を認め、悲しみ、罪の赦しを神に求め、神に向かって生き方を180度変えようとするなら、罪赦され、神の子とされ、新しく生まれ生きることができます。

キリストの弟子から始まり、キリストの十字架の福音は世界の果てまで広がっています。キリストの福音だけが、人を作り変え、世界を作り変えることができるのです。

この世界は人間が見て知る以上の世界なのです。世界は死んでいるのでも、沈黙しているのでもありません。世界、歴史の中に働かれる神を通して、神の目的に向かって、確実に神のご計画が進んでいるのです。

やがて終わりの時にキリストがもう一度来られ神のご計画が完成されます。それはキリストを信じて新しくされた者が入る神の国です。その日に向かって忍耐と希望をもって、主権者なる神に委ね、キリストに仕えて、福音を宣べ伝える者は幸いです。

昔、ラビ(神の言葉を教える先生)に仕えたイスラエル人たちは、自分たちの最高の姿を見せて、最終テストに合格しようとしました。その最高の誉れ「弟子として私に着いてきなさい」をもらうためでした。

今、キリストがあなたに、私の弟子としてついてきなさいと言われます。この招きがわかるなら、応答しましょう。

キリストの救いを伝える人生は、あなたを真実に満たしてくださいます。

「イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」

(マタイの福音書28章18-20節)

信仰の父、アブラハム②~福音に生きるための信仰の試練

創世記22章1-14節より

2021年9月12日主日礼拝メッセージ

アメイジング・グレイス・キリスト教会

様々な試練の後、100歳のアブラハムに念願の子イサクを神は与えられます。その愛するイサクを全焼のいけにえとして神に捧げるように、神はアブラハムを試練に遭わせられます。信仰の試練とは神に従う方法以外で問題を解決しようとする誘惑です

試練の目的は、いざとなると自分の方法に頼る信仰から、徹底的に神に従うよう信仰を強めるためであり、神の役に立つ者とするためです。

今までのアブラハムなら神に抗議したり、別の解決の方法に頼ったかも知れません。また神の御業によって奇跡的にイサクを授かったこともアブラハムの信仰の質を変えていました。アブラハムは理性では納得できないことを神に委ね、従おうとしました。

イサクを縛り、刀を振りかざし手をかけようとした時、神はアブラハムの神に対する従順の姿勢を受け止めました。アブラハムは息子イサクを神に捧げたと神は見なしたのです。

アブラハムの試練は、すべての人に対する神の訴えかけでもあります。それは①すべての人は神に対する罪のために死の刑罰を受けなければならない ②神はすべての人を祝福する。

罪とは神が捧げられるべき最高の祭壇に、神以外のより頼むものを一番としてまつり捧げることです。

イサクが死んでも罪の赦しの捧げものにはなりません。人間の罪の赦しのためには神が備えられる罪なき神の子羊キリストだけなのです。

神は私たちが本物かどうかご存知です。私たちは不信仰な信仰者です。しかし神は試練により神に信頼する本物の信仰者へと造り変えてくださいます。

アブラハムが愛するひとり子を捧げることは、神の御子キリストが人間のために十字架で死んでくださったその痛みを知り、キリストの福音を知ることでした。

私たちも与えられた命、大切な人生を神に信頼して明け渡そうとする時、神はそれを真実な信仰として受け入れてくださいます。信じた福音~キリストがあなたの罪の身代わりに十字架で死なれたことを信じることによって罪赦され、永遠に神との関係に入れられる~の通りにあなたは救われるのです。

「私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。」

(ローマ人への手紙8章32節)

信仰の父、アブラハム① ~ 神の招きと約束

創世記12章1-8節より

2021年9月5日主日礼拝メッセージ

アメイジング・グレイス・キリスト教会

神が選ばれたアブラハムを通して人類に神による祝福の契約が与えられました。この日は歴史的に最も偉大な日の一つです。これこそが旧約聖書と新約聖書の契約の内容であり、次のことを意味します。

①アダムの罪によって悪と死に支配された世界を救い出す ②アブラハムから無条件でイスラエル民族がおこされる ③全人類の救い主キリストが来られる ④キリストから与えられる聖霊により教会が生まれる ⑤終わりの日にキリストがもう一度来られ(再臨)、完全な神の祝福が成就される(新天新地)

この世界にはまことの望みはなく、すべて一時的で不完全です。しかし、神は誠実なお方で、その約束は確かで信じるものを決して欺くことはありません。神の豊かな永遠の財産がアブラハムとその子孫、すなわちイスラエルと教会に相続されようとしているのです。

アブラハムは南メソポタニヤ地方のウル(現在のイラクの辺り)から神に招かれ呼び出されました。ウルは多神教の宗教的混乱の都会の町でした。神はアブラハムを魂を殺す異教の支配から救い出します。アブラハムは神に従い、生まれ故郷に決別し、新しい信仰による歩みを踏み出します。

アブラハムが完全な人だから神に選ばれたのではありません。次のようにして彼は神の祝福をすべて受け取る素直さを持っていました。

①創造主である神に対する人間の立場を知っていた。人間は神の権威を敬い従う存在である。 ②神は必ず約束を果たされると信じていた。天に顔を向け、神の声を聞く姿勢。神への期待を持って生き続ける ③神の国ために働いた。信仰は聞くと同時に行うこと。

アブラハムはたくさん失敗もし、決して完全な信仰者ではありません。しかし、契約を守るのはアブラハムではないのです。契約の責任を負って下さるのは神なのです。それは一つのことを意味します。神によって立てられた契約は必ず勝利に終るということです。神のご計画はいかなる策略や妨害によっても止めることは出来ないのです。必ず成就するのです。

この世には多くの素晴らしい感動的な物語があるかも知れません。それをどんなに大切に自分の宝物にしても、それは人間の一方的な思いを超えることはありません。しかし、聖書には神とあなたとの生きた関わりの現実があるのです。あなたと神との間にイエス・キリストがおられ、今もあなたを招いておられます。キリストが十字架で死んでくださり、永遠の、無条件の、恵みの救いの契約は完成しているのです。それを受け取るかどうかは、あなたがキリストを信じるかどうかにかかっているのです。

「神が多くの子たちを栄光に導くのに、彼らの救いの創始者を、多くの苦しみを通して全うされたということは、万物の存在の目的であり、また原因でもある方として、ふさわしいことであったのです。」

(へブル人への手紙2章10節)