信仰とはキリストによる愛の人生の勝利

ヨハネの手紙 第一5章1-5節より

土山みことばキリスト教会

2022年5月15日

子どもは親(おや)を愛(あい)します。親(おや)も子どもを愛(あい)します。兄弟(きょうだい)はお互(たが)いに愛(あい)します。それが家族(かぞく)の本来(ほんらい)の姿(すがた)です。親(おや)と子の関係(かんけい)は生まれた時に始(はじ)まります。誕生(たんじょう)は愛(あい)の始(はじ)まりです。誕生(たんじょう)は奇跡(きせき)であり、それだけで勝利(しょうり)なのです。

神(かみ)さまに最初(さいしょ)に造(つく)られた人間(にんげん)アダムは神(かみ)さまを愛(あい)していました。神(かみ)さまとアダムはお互(たが)いに愛(あい)し合(あ)う親子(おやこ)でした。悪(あく)も死(し)もなく、アダムは永遠(えいえん)に愛(あい)の世界(せかい)を生(い)きることができました。

しかし、悪魔(あくま)の誘惑(ゆうわく)に負(ま)けてアダムは神(かみ)に背き、神(かみ)との関係(かんけい)を失(うしな)いました。その時から世界(せかい)に罪(ざい)と死(し)が入りました。それ以来(いらい)、すべての人間(にんげん)は神(かみ)から離(はな)れた罪人(つみびと)として生(う)まれてきます。

本来(ほんらい)の人間(にんげん)になるために、もう一度(いちど)生(う)まれなければなりません。神(かみ)さまから生(う)まれる者(もの)はイエスがキリスト(救い主)であり、神(かみ)さまの子どもであると信(しん)じます。信仰(しんこう)(聖書(せいしょ)を信(しん)じること)によって神(かみ)さまと親子(おやこ)の正(ただ)しい関係(かんけい)に戻(もど)ることができるのです。

神(かみ)さまから生(う)まれた者(もの)は親(おや)である神(かみ)さまを愛(あい)して、人を愛(あい)します。神(かみ)さまから生(う)まれた者(もの)は神(かみ)さまの言葉(ことば)である聖書(せいしょ)を信(しん)じて守(まも)ります。

神(かみ)さまを信(しん)じて愛(あい)するとはどういう意味(いみ)でしょうか。それは、困(こま)っている人を助(たす)けること、寂(さみ)しい人の友(とも)だちになること、人に親切(しんせつ)にすること、優(やさ)しくしてあげることです。

神(かみ)さまの言葉(ことば)(聖書(せいしょ))を守(まも)ろうとする者(もの)は神(かみ)さまの助(たす)けがいつもあります。イエス様があなたの罪(つみ)のために十字架(じゅうじか)で死(し)んでくださったことを感謝(かんしゃ)して生(い)きる者(もの)を神(かみ)さまは決(けっ)して見放(みはな)しません。どんなことがあっても、神(かみ)さまがともにいてくださいます。

この世(よ)の勝者(しょうしゃ)とは自分(じぶん)が勝(か)つことです。しかし、神(かみ)さまから冠(かんむり)をもらう本当(ほんとう)の勝者(しょうしゃ)とは、弱(よわ)い者(もの)や嫌(きら)われている人を愛(あい)して助(たす)けてあげる者(もの)です。誰(だれ)かのために生(い)きる人です。なぜなら、イエス様もそのようにされたからです。イエス様はすべての人の罪(つみ)のために十字架(じゅうじか)で死(し)なれました。しかし父(ちち)である神(かみ)さまは三日目(みっかめ)にイエス様をよみがえらせました。イエス様を信(しん)じて生(い)きるなら、あなたもこの世(よ)の悪(あく)、罪(つみ)、死(し)に打(う)ち勝(か)ち、正(ただ)しく生(い)きることができます。

互いに愛し合う人生こそ人生

ヨハネの手紙 第一4章16-21節より

土山みことばキリスト教会

2022年5月8日

これから社会(しゃかい)に出て働(はたら)く人たちに書かれた本に次のように箇所(かしょ)がありました。

①      きらいな人は、相手も自分をきらっていると思い、礼儀(れいぎ)正しくして、距離(きょり)を置(お)いてつき合いなさい。

②      好きな友人でも、いつ裏切(うらぎ)られるかわからないと思いなさい。

③      上役(うわやく)が相手(あいて)を軽蔑(けいべつ)してもがまんしていなさい。

人間関係をこのように割(わ)り切(き)って考えるのは、とてもさみしいことです。けれども、これが人間の現実(げんじつ)の姿(すがた)かも知れません。本当に人間はそんな風にしか生きることはできないのでしょうか。それは違(ちが)います。それは自分を守(まも)るためだけの、自分のためだけに生きるさみしい孤独(こどく)な姿(すがた)です。

イエス様が十字架(じゅうじか)で死(し)なれたのは、そんな私たちに示された神さまの愛(あい)です。イエス様を信(しん)じる者は神さまとの正しい関係(かんけい)を取(と)り戻(もど)します。自己(じこ)中心(ちゅうしん)な私たちにイエス様の愛(あい)が与えられます。誰(だれ)に対しても優(やさ)しく愛(あい)の人として生きる者に少しずつ変(か)えられます。

人を愛(あい)さず、憎(にく)んだり、ゆるせないでいると、あなたは誰(だれ)も心から愛(あい)せない人になってしまいます。うわべだけで愛(あい)する人になってしまいます。それは愛(あい)のないうわべだけの人生(じんせい)です。なにも残(のこ)らない人生(じんせい)です。

愛(あい)することは簡単(かんたん)ではありません。憎んだり、ゆるせないこともあるでしょう。ときには恐(おそ)れもあります。

愛(あい)せるように、ゆるせるようにお祈(いの)りしましょう。神さまがあなたの心を変(か)えてくださいます。状況(じょうきょう)を変(か)えてくださいます。あとは神さまが完全(かんぜん)に正(ただ)しい判断(はんだん)をしてくださることを信(しん)じて、おゆだねしましょう。

イエス様が死(し)んでくださったのは、恐(おそ)れに負けず、あなたが人を愛(あい)して、本当の喜(よろこ)びを知(し)って生きるためです。イエス様の愛(あい)にいつもとどまり続(つづ)けましょう。