確実に近づく世の終わり。信じて救われよ

マルコの福音書13章1-13節より

2021年3月28日主日礼拝メッセージ

アメイジング・グレイス・キリスト教会

この世界はいつまでも続きません。必ず終わりが来ます。それは確実に近づいています。
聖書には世の終わりの前兆として、キリストを名乗る偽者が現れると書いています。また、戦争、地震や飢饉の自然災害についても書かれています。不法のため人々の愛が冷めるともあります。
この世にまどわれてはいけません。唯一、聖書だけがこの最後のときをどう生きるべきか教えています。
終末はすでに始まっています。そして、キリストがすべての人にわかるように現れ、キリストを信じる者は救われ、すべての死人がよみがえり、最後の審判が行われます。それはすべての人の生きている間の言葉と行い態度のすべてが神様の前で完全に正しく裁きです。
この世の最後はすべての者が滅ぼしつくされるのではありません。キリストを信じて罪の赦しを受けた者は、永遠の命を受け救われ、キリストを信じなかった者は、永遠の滅びに入れられます。
またキリスト者も世の終わりに向けて迫害にあいます。しかし、それはキリストの救いを人々に伝えるためなのです。
世の終わりは、出産に例えられます。終末の前兆は陣痛のはじまりです。しかし、出産の苦しみは、後に訪れる新しい命の誕生によって喜びに変わります。
この世の終わりの苦しみも、やがて、この地上に到来する新天新地に迎えられる希望に変えられます。
今の世界は罪と死の支配で理不尽です。しかし、天国はキリストにより、罪も悪も死も存在しない、完全な神様の支配される世界です。死も苦しみも涙も叫びもない、永遠に幸福と平和が続くのです。いえ、そんな言葉で言い表せない栄光の輝きです。
キリストを信じるなら終末を恐れることはありません。またあなた一人ではありません。教会の兄弟姉妹、またキリストを信じて生きた人々、そしてイエス様があなたを天の御国に入る日まで共にいて守っていくださいます。
そのためにまずイエス・キリストをあなたの罪からの救い主と信じることです。
神のことば、聖書の約束の希望をしっかり握って生きていこうではありませんか。

キリストに捧げる人生

マルコの福音書12章41-44節より

2021年3月21日主日礼拝メッセージ

アメイジング・グレイス・キリスト教会

金持ちたちは有り余る中から献金箱に大金を投げ入れましたが、貧しいやもめは、少ない金額でもすべてを捧げました。イエスはこのやもめは献金箱に投げ入れた誰よりも多く捧げたと言われました。
いくら捧げるかよりも、どれだけ犠牲を払って、神様に捧げるかが大切です。有り余った中から捧げるものを神様は決して喜ばれません。どれだけ上質で大切なものを捧げたのかで、神様に対する真実な心が現れるのです。
この貧しいやもめは、明日の心配をしていませんでした。すべて神様にお委ねしていました。お金よりも神様を信頼していました。
この世で、お金はどれくらい頼りになるでしょうか。いくら財産を蓄えても、完全に安心することはできません。お金でその価値以上のものを手にいれることはできません。しかし、神様にお金を捧げるなら、その価値以上の祝福を受けます。
お金だけでなく、時間や、仕事も生活も、人生を神様に対して捧げて生きるなら、私たちの人生は、私たちの考えをはるかに超えた神様の素晴らしいご計画の中にあります。
また聖書は言います。「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。」 (マタイの福音書16章26節)

いくらお金を払っても、永遠の死から救われません。罪の刑罰は永遠の滅びです。
キリストが十字架で死なれ高価な代価が払われました。それは私たちを滅びの淵から、命を救い出すためです。お金の価値基準は、このキリストの支払われた犠牲にこそあるのです。

「あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。」
(コリント人への手紙第二8章9節)

神様はキリストの罪なき聖い命を差し出されました。それはすべての罪人を救うためです。キリストの十字架を信じて罪赦されて、永遠の命を受けた者は、自分の大切なものを喜んで、神様のために差し出すことができるのです。これこそ、まことの自由です。まことの豊かさです。アーメン。

キリストの死と命により始まる新しい歩み

ローマ人への手紙6章4-11節より

2021年3月14日主日礼拝メッセージ

アメイジング・グレイス・キリスト教会

眠っている人に大切なことを伝えようとしても無理です。目を覚ますまで待たなければなりません。神様も私たちにとても大切な話をしたいのに、神様から見ると私たちは眠っているどころか、死んでいるというのです。

それが罪に中にある人間の姿なのです。神様のことがまったくわからない状態、性質を罪と言います。すべての人間はこの罪の性質を持って生まれてきます。

罪ある人間の神様とは自分です。人生を自分のためだけに生きて、自分の心の思うままに、神様がどんな時も心の中まですべてご存知であることがわからずに好きなように神に対して悪を行っているのです。

人間の中に罪が住んでいて、善いとわかっていることがなかなかできません。その人生の結末は永遠の滅びです。

しかし、神様は神様に立ち返る人間を知っておられます。そして、その人が気づかなくても、神様はその人に働きかけます。やがて、その人は自分の罪深さを知り、神様がいない人生の虚しさや、神様が人生の問題を解決してくださることがわかります。

自分の罪を心から悔いて、キリストの十字架の死が自分の罪の身代わりであると信じる者は、古い罪の自我が死んで、キリストのよみがえりによる新しく霊的に誕生します。この時、死んでいた神様との関係の命を回復して、全人格が新しく造り変えられ始めます。

神様はご自身の言葉によってこの天地を創造されました。神様の御言葉を信じる者は新しく創造されるのです。神様に対して死んでいたあなたが新しく生まれることは、この天地を創造する以上の出来事なのです。あなたの存在は、この宇宙世界と比べることができない高価で尊い命なのです。

そのために、あなたがキリストを信じる前から、キリストは十字架で死なれ、あなたを愛されています。

この愛を受け、罪ゆるされるために、キリストをあなたの罪からの救い主として個人的に受け入れることが必要です。あなたの人生にキリストをお迎えしましょう。アーメン。

キリストに愛された者は神の言葉に従う

マルコの福音書12章38-40節より

2021年3月7日主日礼拝メッセージ

アメイジング・グレイス・キリスト教会

神の言葉を教える律法学者にイエスは厳しく警告します。彼らの生き方は自分の見栄を求めて、外見だけ神様に仕えていました。弱い者を救うべき神様の教えを逆手にとり、やもめ(未亡人)から金銭を巻き上げたりもしていました。神のことばを知っていても、神さまを侮っていました。神様の教えで、一番大切な愛をおろそかにしていました。愛とは仕えることです。彼らは神様のことばに仕えていませんでした。神様のことばを知ることは、同時に神のことばに従うことです。自分の人生の中で、日々の生活の中で、実際に神のことばを実行することです。

信仰生活は、単に規律を守ることではありません。あいさつしない人に、あいさつしなさいと叱ることと同じです。本来、あいさつは言われてするものではなく、自分の内からあいさつすることに意味があるのです。

しつけや教育、道徳では、人間の態度を変えることができても、その態度に至る心の中を変えることはできません。

それが人間の罪の性質です。キリストは罪から解放して、きよい命に変えてくださいます。自分の罪のために十字架で死なれたイエス様に自分愛されていることを知り、イエス様を愛して、神様のことばに従って、生きていきたい者とされます。愛は人を変えます。人間の愛でもそうなら、神様の愛はあなたを必ず変えてくださいます。

イエス様を信じて愛して生きる者は、イエス様に似た者に変えられていきます。人間は愛して大切にしている者に似ていくのです。

ですから、何に従っていくのか、何に仕えるのかは人生を決定するのです。

礼拝すべき創造主である神様を礼拝せず、他のものを神様よりも大切にして崇拝するなら、人生のあらゆる関係は狂いが生じます。

キリストは私たちと神様との関係を回復して、私たちが神様に対して信仰によって従順になるために来られたのです。どんな時も神様があなたと共にいて、この世の喜びや感情よりも、神様との関係を喜んで生きるためなのです。

その時、あなたはこの世の誇りで外見を装わなくても、内におられるキリストがあなたの輝きとなります。

アーメン。

「ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」

(コリント人への手紙第Ⅱ4章16節)