神を知るにはどうすればいい?

ヨハネの手紙 第一2章3-6節より

土山みことばキリスト教会

2022年1月30日

神を知るにはどうすればいいのでしょうか。キリストの時代は、宇宙や自然のように、哲学や知識によって神をも知ることできると考える人たちがいました。また、不思議な宗教的な儀式の神秘的体験により神と共にいると考える人たちもいました。しかし、彼らの宗教は道徳的にも行いにも、模範となる善いもの、愛の交わりもありませんでした。

人間が神を知るとは、聖書を通してご自身を明らかにされる神のことばによるの

です。人となられた神であるキリストにより神を知るのです。神を知るに至るには、神の言葉の聖書を聞き、守り従うことです。その時、神の愛の中に生き、自分の罪深さや、愛のなさ、弱さ、至らなさを教えられます。

神の言葉を聞いて、従って、守っていくとき、人は神を知ること、愛することよりも、さらに強い密接な関係とされます。

夫婦でも、自分より相手を尊重して、話す言葉をよく聴き、仕えていくとき、心も身体も一つにされ、まことの夫婦とされ続けていきます。親子も同じです。親は子を愛するが故に、嫌われても言うべきことを言い、しつけ、子も親の愛を受け、素直に聞き従い、成長して世の中に仕え、年老いても親に感謝をし、いつまでも愛し敬い続け、まことの親子とされていきます。

すべての人は、完全な必要が満たされていたにも関わらず、神の信頼を裏切り、言葉(命令)を守れずに罪に堕落しました。その時から、神の愛から離れた人間は愛を求め、愛することを願っています。

神に対して罪を犯したすべての人は永遠の死の刑罰を受けるしかありません。しかし、神はキリストを十字架につけ、すべての罪人を神の愛する子どもとして迎えてくださいます。

あなたは、愛された者なのです。それは、神の言葉に従って十字架で死なれたキリストを信じて救い出された愛される者なのです。あなたは、神の言葉を守って従っていける者と言う意味で愛されているのです。神はあなたを完全に信頼しておられるのです。

あなたはキリストが歩まれたように、すべてのことにおいて、まったく同じように歩む者です。それは、あなたが目の前の困難から簡単に逃げ出さないことだったり、以前よりも誰かを非難することよりも、自分が未熟だと悲しむことかも知れません。それはキリストを愛し、健全に自分を愛する姿です。あなたはキリストの中におり、あなたの中にキリストがおられます。あなたは神を知っているのです。今までひとりだったあなたに、いつもインマニュエルの(ともにおられる)神がおられます。アーメン。

神が用意されたキリストの十字架

ヨハネの手紙 第一2章1-2節より

土山みことばキリスト教会

2022年1月23日

世界には昔から、様々な宗教があります。一時、世に影響を与えた宗教も、やがて消えていきます。そんな中でキリスト教は、歴史と共に存在し、今も益々世界で広がっています。いわば、キリスト教は海へと流れ込む大河の本流で、他の教えはやがて、細く狭まり渇れていく支流に過ぎません。

キリスト教とは何なのでしょうか。

それは、神が人間に働きかけるまことの救いです。神がご自身を明らかにされる聖書のメッセージは、神に造られた人間(神との関係によって存在できる)への愛と平和の回復です。それを明らかにしてくださったのはキリストの十字架です。

聖書の教えを守れない人間に、行ないではなく、信仰による神との和解をキリストにより用意してくださったのです。そのキリストの義(神と人間の正しい関係)を誰もが受けることができるのです。

その手段が信仰です。例えるなら、洗濯された清潔な服は用意されています。その服に袖を通して着ることが信仰です。美味しい食べ物はあります。それに手を伸ばして食べる、手が信仰です。

人間に神の正しさはありません。しかし、神の用意してくださった正しさ~罪なきキリストが十字架で死なれたことによる正しさ~を受ける者は、神にとって、正しい者とみなされるのです。

信仰がキリストの十字架の意味とあなたを結びつけるのです。

すべての人は罪人であり、罪の刑罰は死、永遠の滅びです。この現実を、まったく変えるメッセージが十字架の福音です。

義なる神は人間の罪をあいまいに赦すことできません。しかし、ひとり子のキリストをその刑罰の十字架に架けることにより、ご自身の義(正しさ)と愛を現されたのです(ローマ人への手紙3章21-30節)。

人間の喜びは交わり(コミュニケーション)にあります。時代が変わっても、手段が変わっても、人は関係を求めているのです。宗教とは何でしょうか。実は人格の交わりなのです。人間と神との関係(コミュニケーション)なのです。人間が神の前に心から喜び生きることなのです。

それを断絶するものが罪です。その罪の罪責に苦しむ人間をキリストは父なる神の前にいつも弁護してくださいます。その弁護は完全に力あるものです。なぜならキリストが十字架で罪の代価を支払ってくださったからです。

罪により、死の刑罰に絶望した人間の取りうる選択を信仰と言います。神の恵みに応答することです。

今日キリストの十字架の救いをお受けしましょう。

闇から光へ

ヨハネの手紙 第一1章5-10節より

土山みことばキリスト教会

2022年1月16日

すべての人間は罪人であり、人は罪を犯すから罪人なのではなく、罪人なので罪を犯すのです。

神と言われるものを信じている人はたくさんいます。しかし、天地を創造して、あなたの命を造られた聖書で明らかにされる唯一の神を信じなければ、まことの神との交わりの喜びはありません。神を信じていると言っても、なお罪の闇の中にいる人は、神との関係に生まれる命がないのです。

神は光であり、完全に聖く、正しく、愛なるお方です。この神と交わり、真理の歩みをするためには、人間は罪のない光の中を歩まなければなりません。

その光の中に入ろうとする者には、イエス・キリストの十字架の血が、罪汚れをきよめ続けて下さいます。キリストが罪のきよめのために流された血こそが、驚くべき神の罪の赦しの根拠なのです(ヘブル人への手紙9章14節)。

神の光の中に生きることは、あなたのすべてを神の御手にお委ねすることです。罪深さも汚れも、誰も知らない苦しみ、悲しみも、人知れず流した涙も労苦も神はすべてご存知です。何も飾らずありのままの姿でキリストを信頼するなら、神はすべての赦しと癒しをくださり、まことの喜びに生きる者としてくださいます。

この神の光は、罪の闇の中にいる者を照らします。神に背を向け、自分自身の暗い影を見つめ続けて生きてはいけないのです。神の光に罪を示されたなら、あなたがすべきことは180度方向転換して、神に従う生き方に態度を変えることです。

そのとき、神の光があなたのすべての影、闇を消し去ってくださいます。

神の御子キリストが十字架で死んでくださったのはあなたへの愛の証しです。

この神の光の中を生きようではありませんか。

イエス・キリストの福音はまことの喜びを与える

ヨハネの手紙 第一1章1-4節より

土山みことばキリスト教会

2022年1月9日

「人生には何か真実な意味があるのか。この世には本物らしく見えても、偽物がある。清らかで正直に人生を送ることは、重要なことなのか。他の人たちを愛そうが、愛すまいが、結果としてその人々に違いはあるのか。神(特にイエス・キリストを通して明らかにされている神)を信じたとして、その信仰が実際にどのように人生や物事を変えるのか…」

これらは、いつの時代も変わらない人間の問いかけです。その答えとして、間違った思想がキリストの時代からありました。

しかし、誤った教えが、どんなに魅力的であっても、それは本当の幸福をもたらすのではありません。しかし間違った教えの中で、誰も思いもしない、消し去ることのできない偉大な教えがありました。

それは、神が人となられて、私たちが生きているこの世界に来られたことです(ヨハネの福音書1:14)。人間は神になれませんが、神は人間になることができるのです。著者のヨハネは、イエスがその神のキリストであることを、実際に見て、聞いて、触れ合って知りました。

永遠の昔から存在した福音(キリストが十字架で死んでくださり人間を罪から救ってくださるよい知らせ)が人間イエスの言葉により、私たちに示されたのです。もう、人間の知識から真理を必死に探し求める必要はありません。

この福音により、人間は罪赦され、罪に打ち勝つ勇気と力を受け、神との関係を回復し、神の愛を受け、悪の力から解放され、死から命に変えられます。

イエスが十字架で死んでくださり、私たちへの愛を示してくださったので、私たちは愛し合うのです。イエスにより罪赦されたので、赦し合うのです。

このイエスとの交わり、喜びは他のいかなるものからも決して得られません。

あなたの人生を新しくするイエス・キリストを救い主としてお迎えしませんか。