神の計画された人生を信頼する

マルコの福音書6章14-29節より

2020年6月28日主日礼拝メッセージ

アメイジング・グレイス・キリスト教会

イエスは12弟子たちを選んだあと、二人ずつ福音宣教(キリストの救い)と力あるわざを行うために派遣されます。

弟子たちは身軽で出かけるように言われ、物質や自分の働きに頼らない、神さまの力と備えを体験します(ルカ22:35-36)。

私たちはたくさんの物質に囲まれています。何でも日本人の所持品の平均数は一万個だそうです。富や物質に頼るなら最も大切な霊的な命を見失う危険があります。聖書には財産や武器、人間、自分の正しさは信頼すべきものではないとあります。まことに信頼すべきは万物を治め、あなたに永遠の命を与える、父なる神の御名なのです。

人が本当に求めるのは物による豊かさではなく、愛される関係に生きる霊的なことです。この世にあるものをいくら手に入れても、あなたを満たす愛と命を得ることはできません。

過去を問うのではなく、希望を与えるため主イエスは来られた

マルコの福音書6章7-13節より

2020年6月21日主日礼拝メッセージ

アメイジング・グレイス・キリスト教会

イエスは12弟子たちを選んだあと、二人ずつ福音宣教(キリストの救い)と力あるわざを行うために派遣されます。

弟子たちは身軽で出かけるように言われ、物質や自分の働きに頼らない、神さまの力と備えを体験します(ルカ22:35-36)。

私たちはたくさんの物質に囲まれています。何でも日本人の所持品の平均数は一万個だそうです。富や物質に頼るなら最も大切な霊的な命を見失う危険があります。聖書には財産や武器、人間、自分の正しさは信頼すべきものではないとあります。まことに信頼すべきは万物を治め、あなたに永遠の命を与える、父なる神の御名なのです。

人が本当に求めるのは物による豊かさではなく、愛される関係に生きる霊的なことです。この世にあるものをいくら手に入れても、あなたを満たす愛と命を得ることはできません。

人生の主人公はあなたではなく、あなたを創造された父なる神なのです。

神は聖さ・正しさ、愛のご性質をお持ちです。その中の愛こそが一人子であるキリストをあなたの罪のために十字架に捧げられました(ローマ5:6-8)。

このキリストの愛、十字架の死と復活を伝えることが宣教です。あなたの配るトラクト一枚、笑顔のあいさつ、あなたがキリストと出会ったことを話すことが宣教なのです。

神を知らず、むなしく希望が持てない方があなたを必要としています。神様はあなたを必要としています。

過去を問うのではなく、希望を与えるため主イエスは来られた

マルコの福音書6章1-6節より

2020年6月14日主日礼拝メッセージ

アメイジング・グレイス・キリスト教会

聖書の時代から預言者は故郷や親族、家族の間では歓迎されないと言われてきました。イエスこそ究極の預言者-神に遣わされた神の子でした。神であるイエスはすべてのものを造られ、ご自分の国であるイスラエルに来られたのに、ご自分の民はこのイエスを受け入れませんでした(ヨハネ1:10-11)。

イスラエルの人々が待ち望んだ約束の救い主であるイエスは彼らが思い描いたような武力的、政治的な王ではありませんでした。イエスは汚い飼い葉おけで生まれ、人に仕え、愛を説き、指導者たちに命を狙われても貧しい者や罪人に神の国の福音を伝え、遂に人々から捨てられ、いみ嫌われた十字架で殺されました。

人間は外観やこの世的な価値で人を判断する性質があります。生まれながらの人間はイエスが人であり、神であることを信じ迎えることができません。

イエスがかつて大工として親孝行で尊敬される良い人であることは知っていても、イエスが神であると信じなければ、罪からの救いはありません(ヨハ5:36-40)。

彼らの何も期待しない不信仰な姿勢のため、生まれ故郷のナザレでは、イエスはこれまでの奇跡をなされません。奇跡を待ち望む信仰の姿勢に神様は応えられます。

しかし、自分の罪の汚れを知る者はイエスを神であり救い主として信じ受け入れます。イエスを信じ救われた者は、過去の過ち、悪い経歴、生い立ちも一切、神様は責められません。いかなる妨害もあなたを阻むことはできません。古いあなたは一切過ぎ去り、まったくあなたは新しくされます(Ⅱコリ5:16-17)。キリストの十字架の罪の赦しに生きていいのです。

イエス様のいやしは、あなたの心を元気にする

マルコの福音書5章25-34節より

2020年6月7日主日礼拝メッセージ

アメイジング・グレイス・キリスト教会

12年の長血の女の苦しみは病苦、それと汚れた者とされた孤独でした。

今も昔も、病の苦しみがあります。病気のため、疎外されたり、偏見にあうことは病以上につらいことです。

女はその病の癒しを信じて、汚れたままでイエス様に触れたとき、神様からの命が流れて込んで、一瞬で病気がいやされます。そして、イエス様を神様と知り、自分の罪を知り、おそれ、ひれふし、正直にありのままを話します。

すべての人間は罪に汚れていて、そのままでは神様に近づくことはできません。神様の前には何一つ隠し通せません(へブル4:13)。しかしイエス様が十字架の上ですべての人の罪の刑罰を負われました。その姿は目をそむけたくなるような病人の姿でした。イエス様こそが私たちの病を知っておられ、その病をいやされるお方です(イザヤ53)。

イエス様の十字架により、罪を悔い改めるなら、そのままの姿でイエス様の救いを受けることができます。十字架で死んでよみがえったイエス様を信じるなら、罪からきよめられ、神様との関係が和解され回復します(ローマ5:1)。

身体だけでなく、うちなる魂が癒してくださるのはイエス様だけです。この罪のけがれがいやされるなら、心が元気にされ、あなたの人生は新しくされ、イエス様に正直に向き合い、いかなる時でもイエス様に信頼していく人生に変えられます。