マルコの福音書7章14-23節より
2020年8月2日主日礼拝メッセージ
旧約聖書にはきよい物とけがれた物について書かれています。宗教に熱心なユダヤ人たちは、自分をきよく守るために、生活のあらゆる場面で、それこそ命がけでした。
食べ物は人の体に入って、消化されて、排せつされるだけで、人の心の中に入ることはありません。
悪い考えや、貪欲、自己中心な心の中の思いが人をけがすのです。それが言葉や行いとなって外側に現れるのです。
ユダヤ人のように外側の行いや儀式を守っても心の中がきよくなることはないのです。
すべての人は生まれながら罪をもっています。人間は罪の奴隷であると聖書は言います。
良い木は良い実を結びますが、悪い木は悪い実を結んで絶対に良い実を結びません。私たちは悪い木なのです。枝や葉ではなく、木そのものが変わらなければ良い実は結べません。すなわち心が変えられなければなりません。
イエス様は、すべての食べ物はきよいと言われます。これは当時のユダヤ人の常識くつがえすような、驚くべき新しい言葉でした。
人間の心を変えることができるのは、罪のないきよいキリストのみ言葉です。
この方を信じて生きるならば、聖霊なる神様があなたの内に住んでくださり、あなたの心の霊は新しくされます。十字架で罪を滅ぼされたキリストという木に接ぎ木され、あなたはきよい性質に変えられ続けるのです。