マルコの福音書8章31-38節より
2020年10月4日主日礼拝メッセージ
イエス様は弟子たちにご自身が苦しみを受け、十字架で殺されることを明らかにされます。
十字架とはキリストの受難と呼ばれる人間の罪を身代わりに受ける苦難の死です。
ペテロはそのことを認められません。それは神よりも人のことを第一に思う人間の罪の性質です。
十字架とは人間の尊厳を辱めるものです。恥やさげすみ、プライドを傷つけられることは人間がもっとも嫌うことです。しかし、神の御子で罪なきイエス様は十字架に従われました。
イエス・キリストを信じることは、その十字架が自分の罪のためであると信じることです。
苦しみ、悩み、痛みを通して、真の人間の姿でもあるイエス様に似た者とされていきます。キリストの十字架を受け止め、そこから本当の救いである、キリストの復活にあずかるようになるのです。
ユダヤでは昔、十字架刑を受ける者は、数十キロもある十字架を背負って、死刑場まで運んでいきました。私たちもまた、人生の重荷を背負って生きていくものです。
けれども、その重荷をイエス様にゆだねて、生きるなら、その重荷は次第に軽くされ、キリストの十字架をともに負う者と変えられます。
その十字架はいつしか、あなたの人生に関わる人々の中で、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制と言ったキリストの命をあらわしていくでしょう。
あなたのうちにあるキリストの御霊である命は喜び満たされ、神さまの素晴らしさを輝かせる永遠につながる人生を歩んでいきましょう。