マルコの福音書9章2-13節より
2020年10月18日主日礼拝メッセージ
弟子たちはイエス様の栄光のお姿、また旧約聖書を代表するモーセとエリヤの出現に驚き恐れます。やがてモーセとエリヤの姿は消えて、イエス様だけが残ります。
そして父なる神様は、愛するイエス様の言うことを聞きなさいと言われます。
イエス様は誰にも比べることのできない特別なお方なのです。
しかし弟子たちは救い主の神様であるイエス様が十字架に死なれて、よみがえられることがわかりません。キリストも預言者の言葉も信じることができなかったのです。
私たちはどうでしょうか。聖書を神の言葉と信じて生活の土台としているでしょうか。イエス様はいつも心の中におられるでしょうか。
私たちもまた、自分の方法で問題の解決を考えてしまいがちです。自分の力や能力に頼りたい性質があります。恥や軽く扱われること、仕えることを嫌います。
神様はどんなこともおできになります。しかし、神様は十字架による道によって、人間を救おうとされました。
イエス様は父なる神様に従順に従われました。私たちも神様の言われることに素直に従う時に苦しみがあるかも知れません。しかしそこを通って与えられる神様のご計画があります。そこに本当の解決と喜びがあります。信仰によって神様に対して生きるなら、私たちは人生の勝利者です。すべてを失っても信仰ひとつで神様につながる希望と愛をもつことができるのです。
まことに神様に信頼するならば、問題の解決の時に感謝するだけでなく、問題の最中にあっても神様に希望を告白できるのです。
ペテロはイエス様と一緒に父の声を聞きました。私たちもイエス様と共にいるなら、神様の声を聞くことができます。罪なきお方であるイエス様は十字架の苦難のしもべとして神様の栄光をあらわされました。
あなたを罪から救うためです。あなたが新しく生きるためです。