マルコの福音書10章23-27節より
2020年12月6日主日礼拝メッセージ
イエス様は裕福な者が神の国に入ることは難しいと言われました。この言葉は弟子たちを大変驚かせる言葉でした。ユダヤの国では富みは神様からの祝福と考えられていたからです。財産は人格がすぐれており、神さまに愛されていることの証明でした。そのような神様の祝福をいただいた人たちが救われないのなら、一体誰か救われるのかと考えたのです。
お金や財産、物質に依存して満足するなら、神さまに完全に信頼して、満たされることが妨げられやすいのです。自分自身と財産に頼る者は決して救われることがありません。しかし、神の救いの力、罪から救い出してくださるキリストの十字架を信頼する者は自由に救いに入ることができるのです。
お金があれば、この世界のほとんどすべてのものは手に入るかもしれません。しかし次のような言葉があります。
心地よいベッドは買えるが、安眠は買えない
食物は買えるが、食欲は買えない
家は買えるが、家庭は買えない
薬は買えるが、健康は買えない
楽しみは買えるが、幸福は買えない
また、富や財産は我々の未来を保障するものではありません。しかし完全に人間の未来を保証する道がひとつだけあります。それは信仰です。キリストを信じることによって与えられる神の永遠の救いです。救いはお金では絶対に買うことができません。救いは神様からのプレゼント、つまり無料です。しかし、その救いは決して値段のない安っぽいものではありません。反対に値段がつけられないほど尊いものです。神であられるキリストが十字架で自分のきよい命をあなたのために差し出されたのです。人間は決して自分を救うことができません。神のみが人間を救うことができるのです。
この救いは信仰により受け取ることができる宝物です。キリストを罪からの救い主としてお迎えしましょう。
アーメン。