神様が愛する子に与えられる信仰の試練

マルコの福音書9章38-50節より

2020年11月8日主日礼拝メッセージ

アメイジング・グレイス・キリスト教会

弟子たちはキリストに従う自分たちだけが正しいと考えました。しかし、キリストに仕える形は様々であり、イエス様は、ご自分のお名前によって奇跡をなす者を味方であると言われます。キリストを信じる者は、神さまにより必ずつくり変えられて神様のために用いられます。

キリスト者は困っている者、助けを必要とする者を援助すべきです。なぜなら、そのような人はキリストを必要としている、キリストの愛する人たち、否、キリストご自身だからです。私たちは特別大きなことではなく、できる形でイエス様への愛を表すことができるのです。たとえ水一杯の助けでも、神さまは覚えておられ、報いを受けるのです。

それとは反対に、世の価値では取るに足らないような小さい者であっても、イエス様から引き離すなら、信仰を妨げるなら、永遠の刑罰に相当すると書かれています。

神様のご意志に従って生きるならば、私たちは、何らかの犠牲を覚悟しなければなりません。神様の喜ばれない生活習慣を見直すこと、ある種の楽しみをあきらめること、罪の世と決別するため、友人との関係を見直すことも必要かも知れません。

この世には退屈と絶望があります。まことの希望とキリストを愛する純潔を受けたキリスト者が、世で愛と光を与えるために遣わされています。世はキリスト者を通してしか、イエス様を信じることができません。イエス様の働きのために、すべてのキリスト者は試練を通ります。それは信仰の堕落からあなたを守り、神さまの子どもとしてあなたを愛されておられるからです。アーメン

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