人に何を言われても、自分の心が責めても、神の選び、キリストの救いを信じぬく

マルコの福音書7章24-30節より

2020年8月9日主日礼拝メッセージ

アメイジング・グレイス・キリスト教会

イエスが異邦人の地であるツロに来られた時、ギリシヤ人の女は汚れた霊につかれた自分の娘をなおしてくださるようイエスのもとへやって来ました。

しかし、イエスは女の願いをすぐにはきかれませんでした。神さまの救いのご計画はまずはイスラエルの民を救うことでした。しかし、女はあきらめず、食い下がります。その信仰がほめられて、イエスは女の娘の汚れた霊は追い出されました。

当時、異邦人は汚れた罪人とされていました。けれども、イエスはすべての食物はきよいとされました。イエスの言葉によって信じる者はすでにきよくされています。

神様の救いのご計画はイスラエル民族から始まり、聖書を与え、救い主キリストを与え、サマリヤ人をはじめ、ギリシヤ人、信じるすべての人に救いを与えるのです。すべての民族を含む新しいイスラエルこそが教会です。

あなたは神様は自分のことなど無関心だと思いますか。神様はあなたの心の苦しみ、悩み、悲しみ、罪の汚れをご存知です。その解決のため、ご自分の子であるキリストをすべての人の罪の身代わりとして十字架につけられました。

この女のように、自分は神の救いから見放されたような罪人であるとしても、神さまに近づき、熱心に、あきらめないで、救いを信じ続けるならば、神様は決して拒まれず、救いを与えて下さいます。あなたは必ず、キリストの愛と命を受けます。

キリストこそがまことにあなたを完全に救うことのできるただ一人のお方です。

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