言葉によって世界は存在する

マルコの福音書7章31-37節より

2020年8月16日主日礼拝メッセージ

アメイジング・グレイス・キリスト教会

人々は耳が聞こえず、口のきけない人をイエス様の前に連れてきて、その人に手を置いてくださるように願いました。

イエス様の病の癒しのうわさを聞いて、病人本人がイエス様のもとに来る場合と、誰かに連れて来てもらう場合があります。またイエス様が病人のもとに来られる記事も聖書にはあります。

今日の箇所のろう者が群衆に囲まれたイエス様に近づいて自分のことを説明するのは難しかったのではないでしょうか。

盲人の苦しみや苦労が大変なことは多くの人は知っています。けれど、ろう者の苦痛を思う時、決して比べることなどできません。言葉による意思疎通ができない不便、また音のまったくない世界、音楽のない世界がどんなものであるか、想像もできません。

しかし、イエス様はこのろう者ひとりを連れ出し、耳を開き、口のもつれを解かれました。イエス様の言われたエパタ(開け)という言葉は、身体の一部がいやされ、閉ざされた部分が開かれたことにとどまりません。彼の人格のすべてが解放され自由とされたのです。

今の時代ほど、つながりを求める時代はないかもしれません。人間関係、また神様との関係が、生きるためには必要なのです。

闇の中で、孤立して、罪な生き方を続けるなら、聞くべきことが聞けず、話すべきことを話せません。

話す言葉は自分の耳にも入ってきます。自分の声が聞けなければ、話すことはできません。人間は言葉を通じて、様々なことを知ります。

神様の言葉を聞かなければ、私たちの心は決して変わりません。生まれたままの人間は神様の言葉を聞くことができません。あなたの罪のためにキリストが十字架で死なれたことを信じるなら、神さまに開かれた新しい命をいただきます。

信仰はキリストのおことばを聞くことからはじまります。キリストの言葉があなたの閉ざされていた心を開き、誰かの心を元気にする愛の言葉を語る者にされます。

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