人生の二つの道、幸いか滅びか

詩篇1篇1-6節より

2021年10月17日主日礼拝メッセージ

アメイジング・グレイス・キリスト教会

人生には二つの道があります。ひとつは神を信じて生きる正しい者の道です。もうひとつは神を信じない悪者の道です。

悪者とは、神を無視して、神に対する恐れをもたず、神が存在しないかのように生活します。祈ることもなく、食べ物や健康に感謝もせず、ただそのまま動き続け、好きなように生活しています。そして、次第に悪の見方、生き方に歩み、習慣的に悪に立ち止り、悪の深みにはまりこんでしまうのです。

多くの人は、自分の人生を少しばかりきれいにすれば問題ないと考えています。しかし、聖書には、悪い霊を追い出して、心をきれいにしても、また悪霊が仲間を連れて来て心に住み、以前よりも悪くなるとあります。少しばかり悪から離れるくらいでは人生は何も変わりません。

聖書が言う「幸いな人」とは、悪に近づかないだけでなく、神に向かって生きようとする人です。積極的に神のことばを聞いて従う者のことです。みことばが正しい者の人生を形造っていくのです。よい行いでなく、神のみことばが人生を変えるのです。

現在の人間のため息、うめき、叫び、いたみ、悲劇、人間関係の崩壊、人生の破滅は、神のみことばを聞いて守れなかった結果です。神のみことばが生活の一部になるまで、何度も繰り返して、心の中まで取り入れなければなりません。

また、正しい人とは、生まれたままの野生の木ではなく、神によって豊かな川のほとりに移植された新しく生まれた木です。川の水とは神のみことばです。正しい人にとって、みことばが飲み物と栄養です。また水はきれいにする働きがあります。罪に気付かせ、罪から離れさせます。神のことばが働き、地上生涯かけて、正しい人をきよめて続けてくださいます。

神のことばの内には命があり、正しい人を成長させ、時が来ると実がなります。しかし、悪者の人生は、風に吹き飛ばされるもみ殻です。もみ殻は一見、実のように見えても中には命がなく、何の実質もないのです。

悪者の道は、死後の神のさばきに耐えることはできません。いえ、この地上でも神を信じる会衆の集い(教会)に立てません。ここに立てない者は自分の責任で滅び失せることを意味します。

「幸いな者」は聖書全体の思想です。神のことば、聖書の目的は人を幸いにすることです。そして、「幸いな人」とはイエス・キリストのことです。すべての人間は罪人として生まれ、悪者の道を歩んでいます。悪者の道から、正しい者の道に移ることは人間の力では絶対にできません。キリストが正しい者の道となってくださいます。この道への入り口は、とても狭いですが、キリストを信じて、そのまま進むと、どんどん道が広くなります。そして、この道は命につながっています。

「幸い」か「滅び」

今、あなたはどちらの道にいますか。あなたはどちらの道を選びますか。