マタイの福音書18章21-35節より
2021年11月7日主日礼拝メッセージ
人間は神に対して莫大な罪の借金があります。それは自分のすべての持ち物をもっても支払うことはできません。神のキリストが十字架で死なれるほどの大きな罪です。
罪とは神の言葉に従わず、この世の生き方に流され、自己中心に心のままに、自分の欲を満たすことを第一にする生き方です。罪により、神の存在がわからず、神を認めることができず、罪の中にいます。その刑罰である滅びの死が課せられています。
しかし、罪から離れ、神に従って生きて行こうとする者を神は赦してくださいます。
赦しと許しはまったく違います。許しとは、大目にみたり、我慢することです。赦しは神のみがなせるわざです。罪の赦しは、①拭い去ること②思い出さない③癒すこと、それは神の平安を与え、神と和解し、きよめ、守り、解放を意味します。
罪の赦しは、神ご自身の本質でもあり、恵みです。神の罪人に対する愛のゆえに、キリストが十字架で罪のために死なれたことにより、罪が赦されます。赦しは人間の悔い改めとキリストの流された血潮によるのです。
また、キリストを信じて罪赦された者は、他の人を赦す者でなければなりません。
人間はひどいことをされた人を赦せません。また誰かにしたひどいことを赦されず、自分を赦せず、苦しんでいます。いかなる理由があっても、赦しがなければ人生は縛られてしまいます。
赦したところで、正しく問題がさばかれたり、事態は変わらないかも知れません。しかし、神は赦しなさいと仰います。赦さないことは大きな罪なのです。
いかなる人も神に赦されなければならない罪人です。キリストは十字架であなたの罪を赦してくださいました。十字架のキリストを見るとき、自分自身も罪深い存在であることを知ります。しかし、キリストがあなたの内にあるなら、赦すことができるように助けてくださいます。あなたの赦せないその人の罪のためにもキリストが十字架で死なれたのです。 人間は赦され、赦すことによって罪の人生から解放されます。憎しみ、憤り、あらゆる負の感情から自由にされます。キリストは互いに愛し合いなさいと言われました。愛するなら赦さなければなりません。赦すなら神はあなたの罪を赦してくださいます。