ルカの福音書24章44-49節より
2022年4月17日
人間は生まれた瞬間から、死に向かって生きています。いかなる人も死を逃れることはできません。そして死の力は、生きている間も働いています。例えば、人を愛するよりも、無関心でいようとしますし、善を行うよりも、悪いことを考えてしまいますし、人がいる時と、ひとりの時では同じような正しさを行えなかったりしますし、人生の目標や夢に向かってすべきことはわかっていても、ついついさぼったりして思うようにいきません。
死とは病気や事故で死ぬことだけを意味するのではありません。聖書によると死とは罪の結果なのです。罪とは悪い行いや、法律違反をすることだけでなく、そのような結果につながる人の内側の悪い性質、罪深い汚れた思いでもあります。そして罪とは、その原因となる神さまと正しい関係にいない状態を言うのです。
人間の良心が働いて、善と悪の境界線が確かに存在するのです。人間の法律ではあらわせない正しさと間違いの境目があるのです。それは神様の存在が原因なのです。
神様の存在を無視して生きるとき、人間は罪の中に死んでいるのです。神様を信じないとき人は決して正しい歩みはできません。
すべての人は罪人として生まれてきます。それは最初の人アダムが悪魔の誘惑に負けて神に対して罪を犯した結果です。罪により世界に死が入ったのです。
キリストはこの神様との失われた関係を回復するために、人間の罪の身代わりに十字架で死なれました。けれども死からよみがえり、罪の力を無力にして、まことの命を与える希望をすべての人に明らかにしました。
キリストの十字架の死と復活があなたの罪の身代わりであると信じる者は、このキリストの復活の命をいただきます。あなたの古い罪の死の体はキリストの十字架とともに死に、キリストの復活とともに、新しく生まれるのです。この新生は神がキリストを死からよみがえらせた人間の限界を超えた超自然的な神の力によるのです。
この復活の命により、悪習慣、依存、過去のあやまち、恐れ、罪に打ち勝つ力が与えられ、神様との正しい生きた関係を生きることができるのです。それが死によって決して朽ちない永遠のいのちです。
「あなたがたは、バプテスマによってキリストとともに葬られ、また、キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、キリストとともによみがえらされたのです。」(コロサイ人への手紙2章12節)