空の空。すべては空。神なき人生の虚しさ

伝道者の書1章1-14節より

土山みことばキリスト教会

2023年9月24日

<聖書>

エルサレムでの王、ダビデの子、伝道者(でんどうしゃ)のことば。
(くう)(くう)伝道者(でんどうしゃ)は言う。(くう)(くう)。すべては(くう)
日の下で、どんなに労苦(ろうく)しても、それが人に何の(えき)になろう。
一つの時代は去り、次の時代が来る。しかし地はいつまでも変わらない。
日は上り、日は(しず)み、またもとの上る所に帰って行く。
風は南に()き、(めぐ)って北に()く。(めぐ)(めぐ)って風は()く。しかし、その(めぐ)る道に風は帰る。
川はみな海に流れ込むが、海は()ちることがない。川は流れ込む所に、また流れる。
すべての事はものうい。人は語ることさえできない。目は見て()きることもなく、耳は聞いて()ち足りることもない。
(むかし)あったものは、これからもあり、(むかし)起こったことは、これからも起こる。日の下には新しいものは一つもない。
「これを見よ。これは新しい」と言われるものがあっても、それは、私たちよりはるか先の時代に、すでにあったものだ。
先にあったことは記憶(きおく)(のこ)っていない。これから後に起こることも、それから後の時代の人々には記憶(きおく)されないであろう。
伝道者(でんどうしゃ)である私は、エルサレムでイスラエルの王であった。
私は、天の下で行われるいっさいの事について、知恵(ちえ)を用いて、一心(いっしん)(たず)ね、(さぐ)り出そうとした。これは、人の子らが労苦(ろうく)するようにと神が(あた)えたつらい仕事だ。
私は、日の下で行われたすべてのわざを見たが、なんと、すべてがむなしいことよ。風を()うようなものだ。

伝道者(でんどうしゃ)の書1章1-14節)

<説教>

(くう)(くう)。すべては(くう)。」(伝道者(でんどうしゃ)の書1:2)

これは、賢者(けんじゃ)ソロモンの言葉です。ソロモンはイスラエルの王様で、(とみ)知恵(ちえ)において地上のどの王よりもまさっていました。

神さまはソロモンに(とみ)(ほま)れ、知恵(ちえ)英知(えいち)(あた)えられました。しかし、ソロモンは次第(しだい)に神さまから(はな)れて、700人の妻と300人のそばめを持ち、快楽(かいらく)事業(じぎょう)、世の宝を求めるようになりました。

しかし、どんなに栄華(えいが)(きわ)めてもソロモンの心は(むな)しかったのです。

人間とはいったい何でしょうか。この世が考える人間とは一般的(いっぱんてき)に次のように考えられています。

①社会のために働く。

歯車(はぐるま)のような存在(そんざい)

②寝て食べて、子を産む。

(動物的な存在(そんざい)

異性(いせい)との関わりを楽しむ。

(性的な存在(そんざい)

④お金や物質(ぶっしつ)があれば満足(まんぞく)する。

経済的(けいざいてき)存在(そんざい)

⑤世の中の力や運命(うんめい)影響(えいきょう)される小さな存在(そんざい)

宇宙(うちゅう)(こま)

⑥自由な意思(いし)、心がある。

(自由な存在(そんざい)

⑦社会の中で生きる。

(社会的な存在(そんざい)

しかし、これらが十分あっても人間は(むな)しさがあるのです。なぜなら、人間とは神さまに()せて、神さまによって(つく)られた存在(そんざい)だからです。

「神は人をご自身(じしん)のかたちとして創造(そうぞう)された。神のかたちとして彼を創造(そうぞう)し、男と女とに彼らを創造(そうぞう)された。」

      (創世記(そうせいき)1:27)

神さまの意志(いし)によって目的(もくてき)をもって、あなたはこの世に存在(そんざい)しているのです。何かの偶然(ぐうぜん)であなたが今、生きているのではないのです。

神さまに()ているとはどういう意味(いみ)でしょうか。それは、神さまのことがわかり、心の中で神さまと(かた)ったり、お(いの)りしたり、神さまの思いや(ねが)いを知り、それに(したが)うことができる存在(そんざい)なのです。神さまを愛して、礼拝(れいはい)するとき、人間は神さまの目的(もくてき)に生きる者として、本当の(よろこ)びと平安(へいあん)(あた)えられるのです。

たくさんの被造物(ひぞうぶつ)の中で人間だけが、活字(かつじ)(あた)えられ、聖書(せいしょ)を読み、神さまを信じることができるのです。

人間のすべての楽しみや(よろこ)びは神さまが(あた)えてくれるものです。神さまから(はな)れて、それらだけを求めても本当の(よろこ)びはありません。

「実に神はすべての人間に(とみ)財宝(ざいほう)(あた)え、これを楽しむことを(ゆる)し、自分の()ける分を()け、自分の労苦(ろうく)(よろこ)ぶようにされた。これこそが神の賜物(たまもの)である。こういう人は、自分の生涯(しょうがい)のことをくよくよ思わない。神が彼の心を(よろこ)びで()たされるからだ。」  

伝道者(でんどうしゃ)の書5:19-20)

また、神さまは永遠(えいえん)存在(そんざい)されるお方で、人間を永遠(えいえん)存在(そんざい)とされました。だから、この地上のすべての一時(いっとき)の楽しみだけでは、人間は(けっ)して()たされることはないのです。

(くう)(くう)。すべては(くう)。」(伝道者(でんどうしゃ)の書1:2)

ソロモンの(むな)しさは神さまに(したが)わず、神さまから(はな)れたことが原因(げんいん)でした。

(たし)かに人生には(むな)しさと(かな)しみがあります。しかし、それは人間的な視点(してん)に立った人生(じんせい)(かん)です。イエス様の(すく)いの約束(やくそく)福音(ふくいん))を知らない人の人生の真理(しんり)です。神なき人生の(むな)しさです。罪深(つみぶか)い自分を知ったソロモンの結論(けつろん)がこれです。

結局(けっきょく)のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を(おそ)れよ。神の命令(めいれい)(まも)れ。これが人間にとってすべてである。神は、(ぜん)であれ(あく)であれ、すべての(かく)れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。」

伝道者(でんどうしゃ)の書12:13-14)

(つみ)()(あらた)めて、イエス様を信じる者は(つみ)(ゆる)されて、神さまと和解(わかい)して新しく生きることができます。そのとき人間は、(はじ)めて(むな)しさから解放(かいほう)されます。

あなたは神さまの()姿(すがた)に神さまによって創造(そうぞう)された高価(こうか)(とうと)存在(そんざい)です。

「わたしの目には、あなたは高価(こうか)(たっと)い。わたしはあなたを愛している。」

(イザヤ書43:4

イエスのように神様に謙遜に生きる

ピリピ人への手紙2章1-11節より

土山みことばキリスト教会

2023年9月17日

<聖書>

こういうわけですから、もしキリストにあって(はげ)ましがあり、愛の(なぐさ)めがあり、御霊(みたま)(まじ)わりがあり、愛情(あいじょう)とあわれみがあるなら、
私の(よろこ)びが()たされるように、あなたがたは一致(いっち)(たも)ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、(こころざし)を一つにしてください。
何事(なにごと)でも自己(じこ)中心(ちゅうしん)虚栄(きょえい)からすることなく、へりくだって、(たが)いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。
自分のことだけではなく、他の人のことも(かえり)みなさい。
あなたがたの間では、そのような心構(こころがま)えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。
キリストは神の御姿(みすがた)である方なのに、神のあり方を()てられないとは考えず、
ご自分を()にして、(つか)える者の姿(すがた)をとり、人間と同じようになられました。人としての性質(せいしつ)をもって(あらわ)れ、
自分を(いや)しくし、死にまで(したが)い、(じつ)十字架(じゅうじか)の死にまでも(したが)われました。
それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお(あた)えになりました。
それは、イエスの御名(みな)によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、
すべての口が、「イエス・キリストは(しゅ)である」と告白(こくはく)して、父なる神がほめたたえられるためです。

(ピリピ人への手紙2章1-11節)

<説教>

ピリピの教会(きょうかい)の中には、不一致(ふいっち)不調和(ふちょうわ)があり、自分の野心(やしん)満足(まんぞく)させようとする者、また自分が人々から注目(ちゅうもく)されたいと(ねが)う人々がいました。

パウロは、謙遜(けんそん)でありなさい。自分のことだけでなく、他の人のことを気遣(きづか)うように注意します。自己(じこ)中心(ちゅうしん)自慢(じまん)するために何かをしてはいけませんと教えます。

教会(きょうかい)に集うキリスト者、神さまを信じる者は神さまに従っていかなくてはなりません。そのためには自分の心の中にイエス様の平安がなくてはなりません。しかし、私たちの注目(ちゅうもく)するものが神さまではなくて、自分の欲や高ぶりが心の中にいっぱいであるなら、神さまに(したが)うことは出来ません。

イエス様は、神さまであるのに、人間の姿を取って、この世に来られました。イエス様は、人間として、(くる)しみ、(いた)み、(とぼ)しさ、(まず)しさ、()え、また愛する者から裏切(うらぎ)られ、拒絶(きょぜつ)され、見捨(みす)てられる苦悩(くのう)落胆(らくたん)経験(けいけん)されました。すべてのことを父に(したが)い通されました。

そのすべての(はたら)きの原動力(げんどうりょく)は父なる神さまにお(いの)りしてお話しすることでした。父の御心(みこころ)(したが)うことが出来るように父に(たの)(いの)りました。

そして、(まも)るべきことを(まも)り、(つみ)を犯さず、(つみ)(おか)した者が()けるべき刑罰(けいばつ)の死である十字架(じゅうじか)までも()けてくださりました。十字架(じゅうじか)に付けられたイエス様は人々からあざけられ、からかわれ、さげすまれました。完全(かんぜん)聖書(せいしょ)の言葉を(まも)(したが)われたのです。

そして、死んで三日目に父なる神さまはイエス様をよみがえらせられ、天の父のもとに上げられました。

それは、すべての人がイエス様を信じて、神さまの素晴(すば)らしさを、(よろこ)(たた)えるためです。

神さまを知る前は、人間はむなしいもの、かなしいもの、罪深(つみぶか)いものを見ていました。しかし、神さまはそんな人間に、神さまを見上げてほしいと(ねが)っておられます。

イエス様が父なる神さまに(したが)(いの)って生きる姿(すがた)は、私たちの生き方でもあらねばなりません。

イエス様こそが、本来(ほんらい)の人間の姿(すがた)を私たちに教えてくださっているのです。それは神さまにを信頼(しんらい)して(したが)い、愛を()けて(いの)りながら生きることです。

私たちは、どんな時でも、自分のしたいように(よく)のままに生きることはできます。神さまが私たちの心に(しめ)されることを無視(むし)して生きる選択(せんたく)もあります。しかし、そこには神さまの祝福(しゅくふく)はなく、本当の(よろこ)びはなく、(むな)しさがあり、死の(ほろ)びへつながった道です。自分のことを愛せない生き方です。

しかし、自分を神さまの前に(ひく)く、謙遜(けんそん)に、(まず)しく(むな)しくする者を神さまは(すく)ってくださいます。神さまの前に、(つみ)()(あらた)め、自分を(ひく)くする者、神さまの言われることに(したが)う者は、必ず、神さまが素晴(すば)らしい高みへと引き上げてくださいます。

イエス様を信じて祝福(しゅくふく)()けるために大切なのは、何より素直(すなお)さです。神さまの前にも人に対して謙遜(けんそん)でありましょう。他の人のことを心から(やさ)しく大切に親切(しんせつ)にしましょう。それだけが、イエス様を知る方法です。