ルカの福音書10章25-37節より
2023年11月5日
<聖書>
すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスをためそうとして言った。「先生。何をしたら永遠のいのちを自分のものとして受けることができるでしょうか。」
イエスは言われた。「律法には、何と書いてありますか。あなたはどう読んでいますか。」
すると彼は答えて言った。「『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』、また『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』とあります。」
イエスは言われた。「そのとおりです。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」
しかし彼は、自分の正しさを示そうとしてイエスに言った。「では、私の隣人とは、だれのことですか。」
イエスは答えて言われた。「ある人が、エルサレムからエリコへ下る道で、強盗に襲われた。強盗どもは、その人の着物をはぎ取り、なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った。
たまたま、祭司がひとり、その道を下って来たが、彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。
同じようにレビ人も、その場所に来て彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。
ところが、あるサマリヤ人が、旅の途中、そこに来合わせ、彼を見てかわいそうに思い、
近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱してやった。
次の日、彼はデナリ二つを取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。』
この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。」
彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」
(ルカの福音書10章25-37節)
<説教>
この律法の専門家は、永遠のいのちを受けるために何を行えばいいのかイエスに質問しました。
すると彼は答えて言った。「『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』、また『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』とあります。」
(ルカの福音書10:27)
このみことばは、旧約聖書にある律法です。
「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。」(レビ記19:18)
隣人とは誰なのか、どのように愛するのか、その答えがイエスの語られた「良きサマリヤ人」(ルカ10:30-37)の姿です。
律法の専門家で神に仕える祭司、レビ人は半殺しになった人を見て反対側を通り過ぎて行きます。律法では死人に触れると汚れ、神殿の奉仕ができなくなる。また、介抱する者が強盗に襲われる手口もよくあり、それを恐れた…
しかし、自分を正しいとするいかなる理由も、神の前では通用しません。
それに対してサマリヤ人は
ところが、あるサマリヤ人が、旅の途中、そこに来合わせ、彼を見てかわいそうに思い、(ルカ10:33)
サマリヤ人のこの「かわいそうに思」う心こそがすべてなのです。この強盗に襲われた人に対するあわれみの心によって、彼のすべての愛のわざが行なわれたのです。
祭司、レビ人もわずかでも同情があったはずなのです。私たちは、このあわれみを閉ざしてはなりません。あわれみによって隣人が生まれるのです。だれかがあなたの隣人なのではありません。大切なのは、あなたが誰かの隣人になれるということです。
この律法の専門家は、何を行えば永遠のいのちを得るのか、また誰がわたしの隣人なのかとイエスに聞きました。
人は良い行いによっては決して救われません。人は愛を行うものとして神の似姿に創造されたのです。良い行いをする神の似せて造られたのです。神さまがあなたに何を望んでおられるかを私たちは知っています。
私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。
(エペソ2:10)
もっとも大切なことは愛なのです。同情するだけではなく、具体的な行動が伴う愛です。聖書が言う愛は感情ではなく、態度、姿勢、行動、決断です。
愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることがありません。
(Ⅰコリント13:4-8)
心が変われば人は変わります。愛された者は愛します。多く赦された者は多く愛します。いかなる人もイエスの愛に触れられ罪赦されたなら、新しい心に変えられ、新しく生きられるのです。
永遠のいのちは、この愛をイエスとともにあらわして生きることです。
イエス様の「あなたも行って同じようにしなさい。(ルカ10:37)」は
あなたを新しい生き方に変えるみ言葉です。
キリストが私たちのためにご自身をささげられたのは、私たちをすべての不法から贖い出し、良いわざに熱心なご自分の民を、ご自分のためにきよめるためでした。
(テトス2:14)