土の器~闇から光へ

コリント人への手紙第二3章16節-4章7節より

土山みことばキリスト教会

2023年11月19日

<聖書>

しかし、人が主(しゅ)に向くなら、そのおおいは取(と)り除(のぞ)かれるのです。
主(しゅ)は御霊(みたま)です。そして、主(しゅ)の御霊(みたま)のあるところには自由があります。
私たちはみな、顔のおおいを取(と)りのけられて、鏡(かがみ)のように主(しゅ)の栄光(えいこう)を反映(はんえい)させながら、栄光(えいこう)から栄光(えいこう)へと、主(しゅ)と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊(みたま)なる主(しゅ)の働きによるのです。
こういうわけで、私たちは、あわれみを受(う)けてこの務(つと)めに任(にん)じられているのですから、勇気(ゆうき)を失(うしな)うことなく、
恥(は)ずべき隠(かく)された事を捨(す)て、悪巧(わるだく)みに歩まず、神のことばを曲(ま)げず、真理を明らかにし、神の御前(みまえ)で自分自身をすべての人の良心(りょうしん)に推薦(すいせん)しています。
それでもなお私たちの福音(ふくいん)におおいが掛(か)かっているとしたら、それは、滅(ほろ)びる人々の場合に、おおいが掛(か)かっているのです。その場合、この世の神が不信者(ふしんじゃ)の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光(えいこう)にかかわる福音(ふくいん)の光を輝(かがや)かせないようにしているのです。
私たちは自分自身を宣(の)べ伝(つた)えるのではなく、主(しゅ)なるキリスト・イエスを宣(の)べ伝(つた)えます。私たち自身は、イエスのために、あなたがたに仕(つか)えるしもべなのです。
「光が、やみの中から輝(かがや)き出よ」と言われた神は、私たちの心を照(て)らし、キリストの御顔(みかお)にある神の栄光(えいこう)を知る知識(ちしき)を輝(かがや)かせてくださったのです。
私たちは、この宝(たから)を、土(つち)の器(うつわ)の中に入れているのです。それは、この測(はか)り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。

(コリント人への手紙第二3章16節-4章7節)

<説教>

①人間の心は覆(おお)いが掛(か)かっていて、自分の力で神を知ることができません。

この手紙を書いたパウロも、昔は神に逆(さか)らい、キリスト者を迫害(はくがい)していました。しかし、神の光がパウロの心を照(て)らし、よみがえられたキリストと出会い、神を信じる者に変えられました。

②この世の神(悪魔(あくま))が人間の思いに覆(おお)いを掛(か)けて、神を知ることを妨(さまた)げています。

それは、滅(ほろ)びる人々の場合に、おおいが掛(か)かっているのです。その場合、この世の神が不信者(ふしんじゃ)の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音(ふくいん)の光を輝(かがや)かせないようにしているのです。

(Ⅱコリント4:3-4)

では、人間は神を知り、信じることはできないのでしょうか。

いいえ。悪魔(あくま)は人間の心に覆(おお)いを掛(か)けても、神は、人間の心を光で照(て)らしてくださいます。

人が自分の罪(つみ)を認め、悔(く)い改(あらた)めるとき、神はそのように働いてくださいます。

③人間は神に心を照(て)らしていただき、キリストを通して神を知ることができるのです。

パウロは、福音(ふくいん)(キリストを信じるなら、人は救(すく)われるというよい知らせ)に仕える者とされました。しかし、パウロは言います。

私たちは自分自身を宣(の)べ伝(つた)えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣(の)べ伝(つた)えます。私たち自身は、イエスのために、あなたがたに仕(つか)えるしもべなのです。

(Ⅱコリント4:5)

パウロは自分のことではなく、十字架(じゅうじか)に付けられたイエスを宣(の)べ伝(つた)えました。キリスト者であっても弱(よわ)く、愚(おろ)かなものですが、自分のすべての罪(つみ)を贖(あがな)って(救(すく)って)くださったキリストにふさわしい生き方へ向かい、変えられていきます。

そのことをパウロは、次のみことばにたとえています。

私たちは、この宝(たから)を、土(つち)の器(うつわ)の中に入れているのです。それは、この測(はか)り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。

(Ⅱコリント4:7)

古代(こだい)ローマでは、土(つち)の器(うつわ)に金貨(きんか)や銀貨(ぎんか)をいれてしまっておく習慣(しゅうかん)がありました。凱旋(がいせん)将軍(しょうぐん)の行軍(こうぐん)はこの土(つち)の器(うつわ)をもっていました。

キリストを信じた者も、神の子とされ、天国へいくことを約束された勝利者(しょうりしゃ)です。しかし、この世で苦難(くなん)や悩(なや)みがあり、自分の弱(よわ)さや愚(おろ)かさが完全になくなることはありません。

しかし、それであってもキリスト者は偉大(いだい)な勝利者(しょうりしゃ)なのです。しかし、その偉大(いだい)さは、彼らの中にある福音、キリストの栄光(えいこう)によるのです。

神の偉大(いだい)さとは、弱(よわ)い私たちを用いて、偉大(いだい)なことをしてくださることです。パウロはその神のあわれみによって人生が変えられました。神に造(つく)られた人間へと回復(かいふく)されたのです。

聖書(せいしょ)は人間を、陶器師(とうきし)である神に造(つく)られた土(つち)の器(うつわ)にたとえています。弱(よわ)くこわれやすい人間であるが、神に造(つく)られた尊(とうと)い存在(そんざい)です。弱(よわ)き小さい私の中に、比(くら)べることのできない測(はか)り知れない神の恵(めぐ)み、愛、力が生きているのです。

神は信じるわたしたちの覆(おお)いを取(と)り除(のぞ)いて、キリストの輝(かがや)きを、反射(はんしゃ)させるように私たちを輝(かがや)かせてくださいます。そして、もはや反射(はんしゃ)でなく、私たちをキリストに似(に)た者へと変え続けてくださるのです。

しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取(と)り除(のぞ)かれるのです。主は御霊(みたま)です。そして、主の御霊(みたま)のあるところには自由があります。私たちはみな、顔のおおいを取(と)りのけられて、鏡(かがみ)のように主の栄光(えいこう)を反映(はんえい)させながら、栄光(えいこう)から栄光(えいこう)へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊(みたま)なる主の働きによるのです。

(Ⅱコリント3:16-18)