ルカの福音書12章1-9節より
2023年12月31日
<聖書>
そうこうしている間に、おびただしい数の群衆が集まって来て、互いに足を踏み合うほどになった。イエスはまず弟子たちに対して、話しだされた。「パリサイ人のパン種に気をつけなさい。それは彼らの偽善のことです。
おおいかぶされているもので、現されないものはなく、隠されているもので、知られずに済むものはありません。
ですから、あなたがたが暗やみで言ったことが、明るみで聞かれ、家の中でささやいたことが、屋上で言い広められます。
そこで、わたしの友であるあなたがたに言います。からだを殺しても、あとはそれ以上何もできない人間たちを恐れてはいけません。
恐れなければならない方を、あなたがたに教えてあげましょう。殺したあとで、ゲヘナに投げ込む権威を持っておられる方を恐れなさい。そうです。あなたがたに言います。この方を恐れなさい。
五羽の雀は二アサリオンで売っているでしょう。そんな雀の一羽でも、神の御前には忘れられてはいません。
それどころか、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です。
そこで、あなたがたに言います。だれでも、わたしを人の前で認める者は、人の子もまた、その人を神の御使いたちの前で認めます。
しかし、わたしを人の前で知らないと言う者は、神の御使いたちの前で知らないと言われます。
(ルカの福音書12章1-9節)
<説教>
あなたの生き方は表裏があるでしょうか。
今日の聖書箇所でイエス様が言われる「偽善」とは、もともとは役を演じる意味でした。そかから、仮面をかぶって、善い人を演じる意味になりました。
造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。私たちはこの神に対して弁明をするのです。
(ヘブル人への手紙4:13)
神さまはすべてのことをご存知です。そのことを信じられない人間は、秘密は隠しおおせると高ぶり、罪を犯すのです。誰にも見つからなければ大丈夫だと思い込んでいます。
人生に表裏があってはならないのです。良い人間を演じる必要はないのです。神さまと自分を偽って生きて幸せになることなどできません。
神さまは、善い人間を装うのが上手な人より、愚かであっても正直な罪人を選ばれます。ありのままで神様を信じていいのです。
神さまの教えに熱心であったパリサイ人と言われる人たちは、見た目は立派でしたが、内面の心は、悪い欲でいっぱいでした。信仰の形式は守っていましたが、一番大切な神さまを愛することが欠けていました。
何よりも彼らは、神さまの言葉を伝える預言者たちを追い払い、神さまの言葉に聞き従いませんでした。そして、預言者によって語られた救い主イエス・キリストを信じずに、十字架に付けてしまいました。
イエス・キリストを信じることなしに、まことの神さまを知ることはできません。神さまを人生の中に迎えることなしに、生き方が変わることは決してありません。
イエス様を信じる者は罪が赦されるのです。神の前に義(正しい者)とされ、その霊魂は決して滅ぶことはありません。しかし、生まれたままの罪人のままで死を迎えるなら、肉体も魂もゲヘナと言われる滅びの淵へ投げ込まれてしまいます。人間はこの権威を持つ神さまこそを恐れなければならないのです。
値段が付かない価値のない雀さえも神さまはご存知です。まして、あなたは雀よりもはるかに価値のある存在です。あなたの髪の毛もみな数えられる神さまを、あなたの人生にお迎えするなら、もう表裏のある人生、善い人を演じる人生から解放されます。神さまの前に真実に生きることができるように日々、あなたに関わってくださいます。
イエス様が十字架で死んでくださったのは、あなたというかけがえのない存在のためなのです。神さまはあなたを愛されています。これが聖書の一番大切なメッセージ(福音)です。
新しい年をイエス様とともに、愛と平安と感謝に満ち溢れますようにお祈りします。