見えない領域で誰とつながっているかで生き方が決まる

マルコの福音書3章31-35節より

2020年4月26日主日礼拝メッセージ

アメイジング・グレイス・キリスト教会

罪と悪が満ち溢れる世界の中でも、本来、家族には愛と平和があります。血縁の関係は、特別の深い絆があり、肉親の情は厚いものです。

その反対が世間です。世の中は冷たく、「赤の他人」という冷たい言葉がそれを表わします。人間は罪の世界に生きていますが、神の愛を必要としています。

血とは不思議です。聖書は命は血にあると言います(レビ17:11)。血肉が持つ罪の性質に人間はもがき苦しんでいます(エゼキ16:6)。誰も血も罪もきよめることはできません。

この罪の影響で、世界も家族も不調和と分裂にさらされています。すべての問題の原因である罪を解決できるのはキリストの十字架の清い血潮だけです(ヘブル9:14,22)。自分の罪の身代わりに死なれたキリストを信じる信仰により、罪が赦され、新しい命により生まれ変わり(Ⅱコリ5:17)、キリストの言葉を聞いて悟り、それを行う者とされます。イエス様のみこころを行う者はイエス様の兄弟姉妹、家族とされます(マルコ3:35)。人間は神ご自身の形に似せて(創1:27)、神様の作品として、よい行いをするために造られたのです(エペソ2:10)。

イエス様のもとに来たのは罪人たちでした。しかし、この心の貧しい者たちがイエス様の家族とされます。反して律法学者や指導者はイエス様を受け入れずに永遠に罪が赦されず、とこしえの罪に定められます(マルコ3:29)。見えない霊的な領域で誰とつながっているか、それが人の命となって生き方とその結果を決定します。

イエス様との生きた関係は、肉の家族の関係や人間関係を変えます。あらゆる関係に神の愛が働き、社会、世界を変える力となります。

この世に一人で生まれてきた人は誰もいません。たとえ事情があって、両親を知ることがなくても、血肉の親が必ず存在するように、イエス様を信じるなら、あなたは神によって生まれた者です(ヨハネ1:12-13)。

あなたにはイエス様を信じる家族が世界中にいます。決して一人ぼっちになることはありません。どんな時もイエス様はあなたから離れることなく(ローマ8:39)、励まし、力を与え、愛されて生きることが出来るのです。別れや限界がある肉親を超えた、あなたは永遠の神の家族の一員なのです(黙示録21:3)。

最大の嘘と唯一の罪

マルコの福音書3章20-30節より

2020年4月19日主日礼拝メッセージ

アメイジング・グレイス・キリスト教会

ナザレのイエスは町や村を巡り、御国の福音を伝え、病人やわずらいで苦しみ悩む人を癒され、汚れた霊を追い出して癒しを与えられました。

30歳で大工の仕事と安定して生活を捨て、貧しい者たちと放浪の生活をするイエスを身内の者たちは、気が狂ったと思い、ユダヤの指導者たちは悪霊の力を借りているのだと聖霊の力を汚しました。

今のこの世も、悪魔という、悪い者の支配の下にあります(Ⅰヨハネ5:19)。その悪魔の目的はキリストが神の御子であり、罪の支配からの救い主であることを教える聖霊の働きを妨げて、キリストを人々に信じさせないことです。欲望や世の楽しみ、惑わしにより人々を信仰から離れさせ、滅びに陥れようとします(Ⅰテモテ4:1)。

けれども、キリストはこの悪魔のしわざを打ち壊すために、人として来られ(Ⅰヨハネ3:8)、十字架の死と復活により、死の力をもつ悪魔に勝利されました(ヘブル2:14-15)。今は悪魔の支配にありますが、キリストを信じる者には神の御国は現実に今、到来しています(マタイ12:28)。

人間は罪により神さまのことを知ることはできません。しかしキリストを信じることにより、聖霊が与えられ、神さまとの命の関係が回復され、神さまに対して犯していた罪を知るようになります(ヨハネ16:17-18)。そして聖霊により罪の悔い改めに導かれてキリストが罪からの救い主であると教えられます(Ⅰコリント12:3)。

しかし心をかたくなにして、高ぶり、神さまに対して謙遜にならずに、聖霊を汚して拒み続けるなら、いつしか罪を犯しても鈍感になり罪の意識も何も感じなくなってしまいます(ヨハネ3:18-21)(エペソ4:17-19)。

今どんな問題を抱えていたとしても、ただ、キリストを信じるなら、その瞬間に罪が赦され(Ⅰヨハネ1:9)、罪の闇の支配からキリストの命の光の中に移されます(コロサイ1:13)。悪魔の子から神の愛する子とされ(ヨハネ1:12)、死から命に移されます(ヨハネ5:24)。

キリストが十字架であなたの罪の問題を解決されたので(ローマ4:24)(ローマ8:2)、あなたは神さまに赦されない罪を犯すことはできません。そのために聖霊を悲しませないように(エペソ4:30)、聖霊の灯を絶やさないならば(Ⅰテサ5:19)、聖霊があなたを罪の悔い改めに導き(詩篇51:9-12)、いかなる罪も赦され、罪に打ち勝つ力が与えられます(ローマ5:17)。

あなたは、神さまに愛された者です。もう何も恐れることなく、キリストの真理により自由とされ生きる者なのです。

キリストはよみがえられた。だから、もう大丈夫!

ルカの福音書23章50節- 24章-12節より

2020年4月12日主日礼拝メッセージ

アメイジング・グレイス・キリスト教会

すべての人の人生に立ちはだかる最大の敵は死です。この死の問題の解決は何より優先すべき課題です。

医学や科学や、宗教が死を克服しようとしますが、今も変わらず、人間は死に支配されています。

人間を死から救うためにキリストは十字架で死んでくださり、三日目によみがえられました。キリストが復活された事実にキリスト信仰のすべてがかかっているのです(Ⅰコリント15:13-20)。死の解決はキリストの十字架による罪の赦しによるのです。

キリストのよみがえりは次の事実を意味します。①キリストは神の御子であるこの証明です(ローマ1:4)。②キリストは罪と死に打ち勝たれました(使徒2:24)。③キリストは人間の罪の完全な赦しを完成されました(ローマ4:25)。④キリストを信じる者はキリストにつながり永遠の命を与えられました(ローマ6:4)。⑤キリトを信じる者は終わりの時によみがえる者とされました(Ⅰコリント6:14)。

キリストを信じるなら、あなたはキリストに永遠の命をいただいた、新しく生まれた者です。死後によみがえるだけでなく、今、キリストの命により生きる者なのです。

死に向かう生き方から、キリストにつながって、命に向かって生きる者に変えられました。あなたはもう死にのみ込まれることはないのです。

たとえ、どんなにつらく苦しい状況にあっても、死ではなく、キリストを選択するのです。

現実から解放されるために、決して死に逃げてはいけないのです。

キリストを信じて見つめるなら、神さまはあなたに十字架のみ言葉を通して必ず救ってくださいます。よみがえられたキリストがあなたの希望となります(Ⅰペテロ1:3)。

神の選びに応える幸いな人生

マルコの福音書3章13-19節より

2020年4月5日主日礼拝メッセージ

アメイジング・グレイス・キリスト教会

神さまがご自身の救いのご計画をなすために、イエスに仕える12使徒が選ばれた。彼らは決して聖人君子でも、強い信仰の持ち主でもない。それどころか、個性ある問題多き面々だ。

神の選び、救いの計画は私たち人間の基準では決して計ることはできない(Ⅰコリ1:26-29)。

この12使徒は新しいイスラエル12部族として選ばれた。その目的はキリストの十字架の死と復活の証人として、また聖霊を受け、新しいイスラエルとしての教会を建て上げるためである。

私たちも罪の支配するこの世から、恵みによって選ばれ救い出された(エペ2:1-6)。それはキリストの体なる教会を建て上げる奉仕をするめである。神と人を愛し、生きるすべてでイエス・キリストを表わすためである(エペ4:11-13)。

使徒たちはイエスに従い、失敗や困難を通して少しずつキリストの似た者に変えられ、イエスを売り渡したイスカリオテのユダを除いては、最後までイエスに仕え、多くは殉教の死を遂げた。

しかし、彼らの命はこの地上で終わらない(ヘブル11:13)。栄光の天の御国に迎え入れられ、死も苦しみもない永遠の命をキリストと共に生きる。

オリンピック選手に選ばれることはこの世の最高の栄誉の一つかもしれない。

しかし、神さまに選ばれ、イエス・キリストを信じる信仰を与えられ、キリストの栄光のために生涯を神さまのご計画に用いられる栄誉は、なにものにもまさる(ヤコブ1:12)。

使徒のひとりシモン・ペテロはキリストの十字架の前にイエスを裏切るという大失敗をやらかした。けれども、イエスはすべてをご存知で彼を選び、愛し、彼が信仰を取り戻すために祈られた。

イエス・キリストを信じる者には失敗の人生と言うものは存在しない。

神さまがあなたの人生の失敗も苦しみも悩みもすべて、ご存知で、いつも顧みてくださり、励まし、共におられ、それらすべてを神:様のご栄光としてくださる。すべてを益として、イエス・キリストに似た者にしてくださる(ローマ8:28-39)。

この真実な神様を信じて心から喜び、人生を歩もうではありませんか。

まことの安息を与えてくださるイエス・キリスト

マルコの福音書3章1-12節より

2020年3月29日主日礼拝メッセージ

アメイジング・グレイス・キリスト教会

パリサイ人は安息日を守らないイエスを責めた。しかしイエスはご自身を安息日の主であると主張した。律法を厳格に守り、権威を誇るパリサイ人の偽善をイエスは指摘した。パリサイ人は自分たちの地位を守るため、ねたみにかられ、心がかたくなにされ、イエスの権威あることばを受け入れられない。パリサイ人はイエスを罠に陥れ、殺すために安息日を利用する。

安息日(律法)を守ることによっていのちを得るのではない。イエスこそが、いのちを与える安息である(イエスとは「主は救い」の意味)(ヘブル4:1-3)。イエスがこの地上に来られたのは、十字架で呪われたものとなって律法を成就するため(ガラ3:13)(マルコ10:45)。ご自身を十字架に捧げ、死と葬りと復活による罪の赦しによる新しい契約を与えられた(ヘブル8:6-13)(エレミヤ31:31-34)。

その新しい教えを説くイエスをパリサイ人は葬ろうとし、民衆は受け入れようとみもとに集まる。

しかし、人の子であるイエスとは何者であるかはわからない。病人を癒し、汚れた霊が追い出され、何かが起こっていることはわかるが、人々は見えるものしか信じられない。くしくも汚れた霊だけがイエスを「神の子」であると知る。人間は罪に堕落した結果、自分の力によってイエスを救い主と信じられない。

人間は自然の摂理や良心の呵責から神の存在を認めることはできる(ローマ1:20)が、しかしキリストが罪からの救い主であることは福音(Ⅰコリ15:1-4)を通してしかわからない(Ⅱテモテ3:15)(ローマ3:23-34)。

神は聖霊を与え、自身の罪を認め、悔い改め、イエスを信じる信仰さえもお与えになる(ヨハネ16:7-8)。

日曜日は神に礼拝を捧げ、命に憩う安息の日

マルコの福音書2章23-28節より

2020年3月22日主日礼拝メッセージ

アメイジング・グレイス・キリスト教会

創造と救いは命を与える神さまの偉大なみわざである。神さまの創造のみわざは休むことなく継続され今もすべての命をあわれみ保っておられる。

安息日はすべての労働をやめて、神さまに礼拝を捧げるために聖別された日である。

それは神さまが最初の6日で万物を創造され、7日目に休まれたことにならうことである(出エジ20:10-11)。また奴隷から解放されたことを覚えて救いの神さまに礼拝を捧げることでもある(申命記5:15)。

安息と礼拝は互いに関連があり、これはうわべで守ることではない。何よりも第一とされる基本であり、命の源である。理由を求めることでなく従うべきことであり、人間の存在の目的である。神さまとの永遠の契約である。守らなければ死罪にあたる(出エジ31:12-17)。神の安息を守る者は祝福される。

罪に堕落して以来、人はまことに礼拝を捧げる対象と安息を失った。罪と死に束縛され、おそれと労苦に捕らわれている。神さまが与えてくださる救いによる平安をすべての人が必要としている。

「安息の年」に6年間農耕した土地を7年目に休ませる。命を育む土地は「神のもの」「聖なるもの」である(出エジ23:10-11)。その年に奴隷は解放され(出エジ21:2-6)、負債は免除された(申命記15:1-6)。7回目の安息の年の次の年、50年目ヨベルの年にはすべての人が自分の土地、家族のもとに帰ることができた(レビ25)。

安息とは肉体的、精神的な労働を中断して、労苦や悩みから解放されて、平安にある状態を言う。

安息はキリストを信じる信仰により与えられる命である(イザヤ61:1-3)。奴隷から救い出されたエジプトの民は不従順のために安息の地、カナンに入ることができなかった。しかし、まことの安息と礼拝は、キリストを信じる者のために今も残されている。

安息はキリストの十字架の死と復活により、今も与え続けられている恵みである(ヘブル4)。

キリストの十字架の死と復活による新しい創造

マルコの福音書2章18-28節より

2020年3月15日主日礼拝メッセージ

アメイジング・グレイス・キリスト教会

聖書には断食は年に一度の大贖罪日と呼ばれる日に行うように書かれている(レビ16:29)。パリサイ人の断食は偽善的なものであった。旧約の時代の宗教儀式ではなく、まことの贖罪のために罪なきキリストが人間の罪の刑罰の身代わりに十字架で罪の贖(あがな)いを成し遂げてくださった(へブル9:12)。

キリストは病を癒(いや)し、悪霊を追い出し、死人を復活させ、貧しい人、罪人の友となり、愛と赦しの福音、神の国を語り歩いた。人々はキリストのもとに集まり、その新しい権威ある教えを喜んで聞いた。

しかし、不気味な十字架の影がしのび寄り雲行きが怪しくなると、キリストに対する人々の態度は急変した。キリストがむち打たれ十字架にさらし者とされた時に、人々はもとより3年あまり寝食を共にして仕えた弟子たちもキリストを捨て、拒み、去って行った。

キリスト者は花婿なるキリストの純潔な花嫁に例えられる。キリストが十字架死なれることは、花嫁から花婿キリストが取り去られること。

キリストを十字架に付けた罪深い人間の罪を知り、悔い改めに導かれる(使徒2:36-38)。

しかしキリストは死んで三日目によみがえり、死と罪に打ち勝たれた(1コリント15)。キリストが十字架で流された血潮によって新しい契約が与えられる。それは自分の罪の身代わりのためにキリストが十字架で死んで復活されたことを信じる者に与えられる罪の赦しである。信じる者にはキリストと共に古い罪が死に、キリストのよみがえりと共に新しい命が与えられる(ローマ6:4)。神との関係が回復され、神の子とされる(ヨハネ1:12)。

キリストを信じた者は以前の生き方から、心、言葉、行いすべてがキリストに似た者とされていく(ローマ8:28-30)(2コリント5:17)。キリストの命のつながり罪に打ち勝つ力が与えられる(ローマ5:17)。

キリストを通して大胆に神に近づく

マルコの福音書2章1-17節より

2020年3月8日主日礼拝メッセージ

アメイジング・グレイス・キリスト教会

中風の人が4人の人に担がれて屋根を破ってイエスに近づいた。大胆な信仰に驚かされる。わかるから信仰を持つのではなく、キリストに近づくことにより信仰が神によって与えられる。(へブル11:6)(エペソ3:12)

中風の人にイエス様は「子よ。あなたの罪は赦されました」と言われる。病で苦しむ者に対して罪の癒しを宣告される。

病は肉体を苦しめ、肉体を滅ぼすかも知れない。しかし病は死を超えることはない。しかし神に対する罪はすべての人の本質的な大問題である。何ものかにが神よりも大切とされることが罪の根本であり、そのため人間は本来あるべき姿が大きく損なわれている。罪の奴隷とされ悪に引き寄せられる傾向をもつ。地上生涯だけでなく死後は永遠の滅びに至る。

罪は神と人間の関係を阻む隔ての壁である。中風の人たちが屋根を壊したように、神との壁は信仰によって壊される。その時に中風の人はただ信じて担がれていただけ。 罪の赦しを得るために人間は何もできない。ただ、神さまからの赦しをいただくだけです。私たちの罪の身代わりにキリストが十字架で死んでくださったことを信じるなら救われる。そのままの姿で、罪を悔い改めて、イエス様の前に進み出るなら、神様はあなたを新しく造り変える。今ある問題を解決してから信じるのではない。悪習慣に克服してからイエス様を信じるのでない。イエス様を罪からの救い主として心にお迎えするなら、問題の解決も誘惑に打ち勝つ力も与えてくれる。(ヘブル9:14)

神に近づく者が受ける癒しは永遠の救いの希望

マルコの福音書1章35-45節より

2020年3月1日主日礼拝メッセージ

アメイジング・グレイス・キリスト教会

重い皮膚病のツァラアトの男性はイエスのもとに行き癒された。その時、イエスは誰にも言わず、祭司に見せて、きよめの供え物を捧げるよう厳しく戒められた。しかし、彼はイエスに従わず、癒しの奇跡を人々に言い広めた。十字架ではなく、奇跡だけが人々に広がり、まことの救い主として来られたイエスの働きを人々から遠ざける。

ツァラアトは一般の病気と違い宗教的な意味の病、罪に関わる。その病気の宣告や完治したことの宣言も医者ではなく神に仕える祭司が行う。(レビ記13,14章)

ツァラアトの患者は汚れた者として人々から隔離される。そして神のあわれみにより癒されたなら、祭司に見せて、決められた捧げものをして、「けがれた者」が「きよい者」と宣言される。この宣言こそが罪ある人間が神に義と認められる救いである。

すべての人の病は神から離れて自分本位に生きている状態、罪である。神の最大の奇跡は人の内面の癒し、罪の赦しである。そのためにキリストがあなたの罪の身代わりに十字架で死んでくださった。このことを信じる者は罪赦され、神との親しい関係が回復され、新しい命を与えられて生きる者と変えられる。

イエスを信じて近づき、あなたの人生にイエスを迎えるなら、キリストの新しい命はあなたの内に入り、神さまはあなたの人生にご介入される。その時、あなたはすべてを神さまにお委ねして安心して生きる者に変えられる。内なる病であった恐れや心配、絶望から解放される。

キリストの権威により人間の尊厳を回復する

マルコの福音書1章21-34節より

2020年2月23日主日礼拝メッセージ

アメイジング・グレイス・キリスト教会

この地上には権威と呼ばれるものが存在する。大統領、裁判官、また学校、職場、家庭にもそれぞれ権威を有する者がいる。この権威が正しく働かないと様々な問題が起こってくる。生まれ持って権威を持つ者はいない。この地上のすべての権威は神様が立てられたものである。神様は、すべての権威の上に存在する。神様こそが、まことの権威、主権を持たれるお方である。万物を創造され、それを保持され、罪に堕落した霊的、物質的なすべての救いを成し遂げてくださる。

教えることにも権威ある言葉で教えられる。聖書は神の言葉で権威がある。

人間はこのまことの権威を持つ神様に従がう時のみ、正しく尊く、神さまに愛された存在である自分を受け入れ、人間として自由に生きることができる。この権威に逆らって生きることが罪である。

キリストはこの権威を神様から与えられ、悪霊に対して、万物に対して従わせる権威を持ち、この世を広義と正義によってさばき、治められる。そして罪を赦す権威を持つ唯一の方である。

そのために王の王、主の主であるキリストが仕えられるためでなく、仕える者として、自ら十字架で、私たちの罪のために死んでくださいました。私たちに愛を示され、愛し合うことの模範となられました。

キリストを罪からの救い主として信じ従う者は、罪赦されて、まことのいのちを得る。そしてキリストの権威をもって、人を赦し、愛し、悪霊や罪に打ち勝つ力をもって、キリストに遣わされた使節として地の塩、世の光とされる。