週報より

キリスト教の歴史の中で、特に初代教会の時代に宣教という観点から見た時にパウロは最も大きな働きをした人物の一人と言えるでしょう。しかしその生涯はもともと従順なクリスチャンというものとは正反対の歩みもありました。彼はクリスチャンとなる前、逆にクリスチャンを迫害する存在でした。ただ批判するとか反対の思想を持っていたというだけではなく、実際にクリスチャンを捕まえて投獄したりしていました。しかもそれを熱心にしていたのです。もちろん教会やクリスチャンから恐れられていました。そんな彼にイエス様ご自身が現れ彼は自分の弱さや間違いを痛感しクリスチャンとして歩むことを決意します。しかしそれまでの彼の行いから教会にすんなり受け入れられるわけもなく、ただひとりバルナバという人物が彼を受け入れ、そして共に歩み、そして信仰とはなにかとうことを教えてくれたのです。パウロ自身は旧約聖書に精通する博識な人物でしたがその知識が人を裁く剣から人を救うキリストの愛に満ちた知識のことばに変わる必要があったからです。それまでの生き方を変えることは非常に困難だったでしょう。しかしどんなマイナスからのスタートでも前進し続けることによって彼は歴史を変えるような大きな働きを担う事になりました。その源にはイエス様の赦しを受け入れ、そしてそこに生き、主と共に前進する素直な信仰がありました。教会にいっていてもどこか悲観的になってしまう方もおられます。しかしその姿勢をイエス様は悲しんでおられることでしょう。自分に自信を持てなくても、私たちを赦し救って下さる神様に自信を持つべきです。誇る者は主にあって誇れとあるように主にあって堂々と歩んでいきましょう。 [Read more...]

週報より~ルールはなんのためにある?~

どんな地域や民族であっても法律や戒律、律法という堅い表現やマナー、礼儀、時には常識という言葉を用いてある一定のルールが設けられています。文明の進んだ社会においても、まだ発展途上の地域においてもです。このルールは守っている限りはなんのデメリットも負債もありませんがそのルールを破った場合、そこには罰金や減点、また懲役などの刑罰が生じます。このルールは地域によって誤差はありますが基本的に安全にその地域共同体が運営出来、そこに住んでいる人が守られるために作られています。しかし時代の変化と共にその本来の意義から外れてしまってただ裁くためのものであったり、的外れになっている場合もあるでしょう。そういった時にまた新しくそのルールを作り替えていく必要もあるでしょう。大切な事はひとりひとりの人権がしっかりと守られるためだからです。ここで行き過ぎた人権と形骸化した規則の衝突も時として起こるでしょう。そういった時に何を基準にして線引きをしていくのかが非常に難しいと思います。クリスチャンは聖書に立ち返るというスタンスを持つことで人と人のつながりの前に神と自分というまず縦の繋がりをしっかりと保ったうえで自分と人という横の線をつないでいきます。そのどちらも大切な繋がりでそれは織物をする時に縦糸と横糸のどちらも大切なのと同じことです。ただ基準がはっきりしているということです。聖書のルールは聖書が教えていることに勝手な解釈で足したり引いたりしないことです。私たちの人生には分からない事や解決出来ない問題もあります。それは横の線の問題かも知れません。まず縦の線を、神様と自分の繋がりをしっかりと保ち、そして右にも左にも逸れないようにしていきましょう。 [Read more...]

週報より

 第一第二テモテへの手紙、テトスへの手紙は新約聖書で多くの手紙を記しているパウロが紀元64~67年に頃、つまり彼の晩年に記した書簡と言われています。牧会書簡とも呼ばれ教会においてどのように植えられ、また養われていくか。またイエス・キリストによる救い、選びなどキリスト教の基本となる神学やクリスチャンのあるべき姿など短い手紙の中に多くのものが凝縮された書簡になっています。自分の命が長くないことを感じつつ、自分の霊的息子達に向けて最後の最後まで励まし、道を示していく姿勢がありありと伝わってきます。その姿勢を見るときに自分はまだまだ足りないと思わざるをえません。しかしひとりのクリスチャンとしてパウロのような姿勢を持ち、霊的にも成熟した者となってくためにはどうしたらいいでしょうか?彼の人生はキリストに出会う前から非常に熱心でした。ただ熱心であればいいというのではないことを彼の人生を見ているとよく分かります。彼は主にある教会を熱心に迫害する者だったからです。しかしキリストに出会い、救われたパウロはその持ち前の熱心さを持ってローマにまで伝道に導かれていきました。彼は間違っていたらやり直せばいいということを知っていたのです。ふつうなら自分がやってきた悪い行いを悔い歴史の表舞台から消えてしまうのではないかと思います。しかし彼は以前にも増して熱心にキリストに仕え、教会に仕える存在になったのです。晩年になっても教会を愛し、祈り、仕えていった彼の姿勢から今の時代に生かされている私たちも多くの刺激を受け、熱心に主に仕えていきましょう! [Read more...]