よいものを見つける~Iテサロニケ5:16-21

私たちはなにかが気になり出すとその一点にとらわれやすい者です。他の部分には感謝すべきところが沢山あってもです。 例えば新しい服を着て出かけた後でほつれや汚れに気がついた時にその一点で浮かない気分になってしまったり、飲み物を買いにコンビニに入ったら自分の欲しかったものだけが売り切れていたりした時にブルーな気分になってしまったりといった具合です。 その背景には期待、思い込み、こだわりなどの要素があります。自分が思い描いていた通りに進んで満足する心です。つまりそこから減点された気分になった時にいかに切り替えることが出来るかということです。聖書には「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい」という有名な箇所があります。喜べないようなことが起こった時にどのようにして喜んだらいいのでしょうか?鍵は「絶えず祈りなさい」にあります。自分の思いを超えたところにある神様の思いを求めていく時に必ず道がそこにはあります。忍耐を身につけるというのは進んで誰もがしたくないかも知れませんがとても大切なことです。ひとつの計画が変わったからこそ全く違う神様の計画が見える時もあります。そしてこのみことばの続きには「すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい」とあります。自分の目ではなく、祈りのうちに神様の視点に近づけて見る時に「ほんとうに良いもの」というものがどんどんシンプルにされていきます。 主に信頼し、主に期待し、主に従っていきましょう。 [Read more...]

苦難と慰め~IIコリント1:4-7

今世界で多くの苦難があります。しかし聖書を見る時にイエス・キリストを信じ、見上げる時にキリストの中にあった多くの苦難を見ます。そして苦難だけでなくそこに慰めがあることを見いだします。 私たちが苦難にあう時に神様に依り頼むことを学び、そして困難に直面している人々をどのように慰めたらいいのかをよりよく理解することが出来るようになります。体験的に得たひとつのことばや態度は多くのことばに時に勝ります。 イエス様は悲しみの人で病と知っていたとあるようにイエス様は自分は完全無欠で高いところから見下ろしているような方ではなく、憐れみ深く、痛みを理解出来る方でした。完全であることが出来る方が私たちに歩みよってくださり多くの痛みや弱さを経験されたのです。そして痛みや弱さだけで終わることなく死をも打ち破り復活してくださいました。そのことによって天国、永遠のいのちの希望が私たちに開かれました。困難の中にある時の大きな慰めです。 イエス様の苦難とその慰めを覚え、より親密な聖霊様との関係を築いていく時に同じ状況の中にあっても私たちには希望の火が灯ります。祈りとみことばの中で信仰の火に油を注ぎ続けましょう。困難の中でこそ忍耐を働かせ、主の慰めを受け続けて乗り越えていきましょう。 [Read more...]

過越とキリスト

主イエス・キリストの復活を心から喜びます。 イエス様がエルサレム入城されて最後の1週間を受難週と言います。そして最後の晩餐という出来事が非常に有名ですがこれは過越の祭の食事を取られていたことが聖書には書かれてます。 つまりエジプトからモーセがイスラエルの民を連れてカナンを目指して出発するきっかけとなった10の災いの最後を過ぎ越すために神様が命じられた事柄に繋がります。その時に主は年のはじめを定められ、そして過越のやり方を細かく指示されました。そこにある事柄は傷のない子羊を選び、家に迎えて共に過ごし、そして屠って食べ、血を鴨居に塗るということです。この血によってイスラエルの家の長子は守られました。またラハブはヨシュアが攻め込む時に赤い紐を家に付けることを目印として助かりました。これも血を意味する色です。出エジプトの過越は奴隷から解放されて自由となりまた戦士と変えられました。ヨシュア記では新しい地に入ることと再びきよい場所が開かれました。そして最終的な救いとしてイエス様の血潮による贖いがこの期間に起りました。キリストの血潮は私たちの罪を完全にきよめ、そしてキリストはう死を打ち破り復活してくださいました。ここに永遠に続く天国への道が備えられ、神様との断絶されていた関係が回復され、神の子とされる特権が開かれたのです。 復活の主に期待し、共に心を合わせて祈り、勝利していきましょう。 [Read more...]