年の終わりに
~節目の過ごし方~
まもなく今年1年も終わろうとしています。毎年新しい気持ちでNo1から毎週発行する教会週報もついに今年最後のNo52となりました。
週報の最後のページに、日ごろ身近で起きた出来事等簡単なコラムを書かせていただいておりますが、今年もたくさんの方々に読んでいただき、またアドナイ・エレとしてホームページにも掲載させていただいたものをも多くの方々がお読みくださって心から感謝しております。
つたない文章でとりとめもないことを書かせていただいておりますが、喜んで読んでくださる方や、感想を言ってくださる方々がいらっしゃることを励みに来年も頑張りたいと思います。よろしくお願いします。
さて、私の小さいころ(屋久島)、家の周りにチンチク竹(和名・蓬莱竹)がたくさん生えていて、それを切ってチャンバラしたり、釣竿を作ったりしていました。母はそれをトマトやキュウリの支え棒にしており、またそのタケノコを取ってきてみそ汁に入れて食べさせてくれました。
今でもたくさん生えているようで、屋久島のチンチク竹で使ったケーナ(立て笛)が売られているのをネットで発見しました。この竹は細い竹ですが、しなりがあってすごく丈夫で、かなり使い勝手が良いもので、様々なものに使われています。
この竹のように、私たちの人生にも新年を迎える時など、節目と言われる時があります。竹が節目をしっかり作ることによって丈夫になり、次に急激に成長できるように、私たちもその節目をどのように過ごすかが次の飛躍にかかわってくるように思います。
私は長年、小学校の半成人式で10歳を迎える子供たちにお話をさせていただく機会をいただきました。その時、節目の話をさせていただきましたが、今までの成長過程でかかわってくださった方々に感謝し、間違ったことや失敗したことを反省し、心をリフレッシュして夢と希望をもって新しい旅立ちをして欲しいと話しました。
また、実現できるかどうかを考えるのではなく、とにかく大きな夢をもって目標に向かって努力して欲しい、そうすればたとえ実現できなくても、目標を目指して努力したことは無駄にならないとも話しました。
皆さん、越年という人生の節目に当たり、一度立ち止まって今年1年を振り返り、歩みを修正し、大きな目標を立てて、新たな一歩を踏み出そうではありませんか。そうすることが迎える新しい年を悔いなく有意義に過ごせることになるのだと思います。
そこで、良い年を過ごすために、今年1年の自分の歩みを具体的に顧み、人を憎くんだり、裁いたり、蔑んだり、羨んだり、嘘を付いてしまったり等の罪を悔い改め、歩みを修正して新しい年を迎えましょう。これらの小さな罪がやがて取り返しのつかない結果を招くことがあることを聖書は教えています。
死んだハエは、調合した香油を臭くし、発酵させる。少しの愚かさは、知恵や栄誉よりも重い。伝道の書10:1
このように良いカッコして、人に話して自分が失敗しないように、私も歳の終わりにあたって1年間の恵まれたこと、守られたこと、教えられたことを感謝し、たくさんの行動や言葉による失敗や判断の失敗等をしっかり反省したいと思います。
そしてそのうえで、新たなヴィジョンをもって新しい年を踏み出したいと思います。
幻がなければ、民はほしいままにふるまう。(幻のない民は滅びる。)箴言29:18
私たちは夢や明確な目標があることによって、努力し忍耐して夢を実現しようとします。私も年齢と関係なく大きな目標をもって新たな歳を歩みだしたいと思います。
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