何故、教会を喜入に?

公開済み 4月 21, 2024 by 管理人 in アドナイ・エレ

~次回の同窓会で話して~

先日大学の同窓会の役員会が行われ、役員である妻を車で送って行くついでに役員でない私もオブザーバーとして出席するように求められました。そして、雑談の中で司会役の幹事が様々な史跡を見て回るうちに、喜入町に素晴らしい史跡があった事を話されました。  そして、「あなた方はどうして鹿児島市の中心街ではなく喜入町に教会を建てられたのですか?」と聞かれ、そのことを次回の同窓会の冒頭に15分ほど時間を差し上げますので、皆さんにお話しくださいということになりました。

そこで、教会員の方々も何故喜入に教会ができたのか知らない方がおられると思うので、ここで先にお伝えしたいと思います。

私たちは鹿児島市の谷山で開拓伝道を始めました。最初は近くの古い公民館を日曜日の午前中だけ借りて、毎週日曜日の朝に道具を運び込んで、畳の上で礼拝をして、終わったらきれいに掃除をして戸締りして帰るということを続けておりました。

当時は開拓伝道で、あまり収入もなかったので、私たち家族は毎日おかゆをすすって生活しておりました。当然、キリスト教のトラクト等を買う経済力もありませんでした。

そのような時、あるキリスト教の出版社が、教会のない町にトラクトを配布するのだったら、無料でトラクトを提供しますと発表されたのを知り、すぐ手を挙げ応募しました。それが当時、揖宿郡喜入町と言われていたこの町でした。すると、段ボール箱3箱にトラクトがぎっしり入って送られてきました。

喜入の町は小さな6つの村に分かれていて、家々が点在する田舎の町でした。私たちの教会だけでは到底配布しきれないので、お隣の谷山福音教会の信徒の方や沖縄DTSのチームの方々が来て下さって、トラクト配布の応援をしてくだいました。

当時、私はトラクトを配布して回りながらも、私自身はこのような田舎ではなく、もっと人の多い谷山で伝道を続けたいと思っていましたので、トラクト配布中は「神様、この町で誰か教会を始める若い人が起こされますように。」と祈りつつ配っておりました。そして、数年かかってようやく喜入町のすべての家へのトラクト配布を終えることができました。

その内、谷山の開拓伝道では、1階と2階の1軒ずつを貸家としている小さなアパートを借りて、1階を教会に、2階を私達の住まいとして活動を始めました。そして、そのほかに軽3台ほど駐車できる駐車場を借りました。

そこで、2軒分の家賃と駐車場代を毎月支払う分を、会堂を造ってそのローン代に充てるようにした方が得策ではと思い、会堂建築を始めようと決意しました。

会堂建築するには、建物と駐車場スペースの最低100坪ぐらいは確保しないといけません。しかし、谷山方面は地価が高くて到底手が出ません。そこで、教会の経済力から買える場所を探すと、どんどん街から離れてしまいました。

そこで、条件にしたのがJRの駅から近い所で、4~5台分の駐車スペースが得られる所、そして私がこだわったのが交差点の角です。それは、鹿児島市内には多くの教会がありますが、前を通ってもその存在をなかなか知られることがありません。しかし、交差点の角なら信号待ちの間に目に入るので教会が目立つだろうと思ったからです。

そして、現在の喜入の土地を紹介されたときに、そのすべての条件をクリヤーしていたので、ここにしようと決めました。今思うと、トラクト配布をするころから神様はすべてをご計画されておられたのだろうと思いました。

 人の心には多くの計画がある。しかし【主】のはかりごとだけが成る。箴言19:21

神のなさることは、全て時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われる御業を、初めから終わりまで見極めることができない。伝道者3:11

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