何でも食べる?
~神様が造った食べ物たち~
幼い頃の私は、ごはんを食べない子どもでした。おなかが空かなかったのか、空腹に気が付かなかったのかわかりませんが、とにかく両親は、すぐに「もうおなかいっぱい」と言い始める私にどうにか食事をとらせようと、色々工夫を凝らしてくれたようです。
そんな私も今ではすっかり人並みに食べる大人になりました。むしろ、「なんでも食べる人間だ」と認識されている場合すらあるようです。というのも、以前こちらで自己紹介させていただいたように、私が安上がりの海外一人旅が好きで、得体の知れない場所でなんだかわからないものを食べていると思われているためであるようなのです。
ここで、あらためて少し自己紹介させていただくと、私はこの教会の教会員で、一年に一度職場でのお休みをもらえたときに海外へ出かけ、一泊数百円の格安宿や寝心地の悪い夜行列車を使って、観光地でなく住民の生活に触れる旅をするのが好きです。そのために、あえてお世辞にもおしゃれとは言えない格好で出かけるので、観光客に人気の素敵なレストランなどには到底入れません。私にとっては、そんなことより、ごみごみした路地や、地元の人がいつも使う食堂のほうがずっと面白く思えるのです。
行先選びの決め手は「興味深い食文化をもつ地域である」「こんな食べ物があるらしい」など食に関することがほとんどです。もちろん「使用される言語の文字がかわいい」「国名が面白い」等、他に幾分ましな(もしくはもっとくだらない)理由があることもありますが、食の関係で関心を惹かれるものがない場所は選ばない気がします。食に無関心だった幼い頃の私の姿からは、きっと当時の家族にも想像もできないことと思います。
そんな話題の中でよく聞かれるのは、「どこの料理が一番おいしかった?」「変な物食べたことある?」等の質問です。1番目については話せば長くなりますが、2番目については、まず「わからない」というのが正直なところです。何しろ、見た目だけで注文したものの言葉は通じないためそれが何なのかわからないまま食べていることもよくあるし、材料について私自身わかったうえで変とは思わず食べていて、後に「そんなもの食べたの?!」と驚かれることもあり、何とも言えません。
ただ、こんな私が未だに手を出す勇気のないものがあります。いわゆる「昆虫食」です。日本にもある食文化ですし、何せ姿かたちそのままにシンプルに調理されていることが多く、何かわからないものを口にするという意味での不安はありません。しかし、初めてそれをある国の屋台で見かけたときは衝撃的でした。
そこは観光客向けではなく、地元の人が買い物に来る夜市でした。私はその場所も、それが本当にあるのかも確信はないまま、「虫を売ってる夜市があるらしい」という情報だけで、興味本位でそれを見るため何時間も歩いたのですが、いざ実物を目の前にすると面白半分の気持ちが一瞬で引きました。なかなかにショッキングな見た目で、日本でも見覚えのあるあれやこれやもありました。
しかしペテロは言った。「主よ。それはできません。私はまだ一度も、きよくない物や汚れた物を食べたことがありません。」
すると、再び声があって、彼にこう言った。「神がきよめた物を、きよくないと言ってはならない。」使途 10:14~15
(聖書にはこんな箇所がありますが、これは食べ物の好き嫌いの話ではなく、外国人という理由で相手を忌避することなく伝道することについてのたとえです。)
昆虫食自体、栄養価豊富で地球に優しいたんぱく質として注目を浴びており、いつか挑戦することがあるかもしれませんが、私には時間がかかりそうです。
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