証詞(あかし)ってなぁに?(1)

公開済み 9月 7, 2025 by 管理人 in アドナイ・エレ

~以前鹿児島におられた先生方を訪ねました~

証詞とは、『神様の恵みを体験したことを伝える事』です。

今回の研修・伝道旅行では、町田聖書教会で3度、旭キリスト教会では2度、証詞をさせて頂きましたが、旅行の中で感心した事、感動したことを織り交ぜながらお話しさせて頂きます。

◎7月19日(土)に鹿児島を出発して、夕方福岡の実家に着きました。久しぶりに下の妹家族に会いました。妹のご主人が「実家なのに泊めてあげられなくてすみません。」と言いました。両親は亡くなっていますし、それぞれの部屋は妹家族が住みやすく改造しているので、私たち夫婦はコンテナホテルを予約していて全然思っていないことを言われて、そんな風に思っていて下さったんだと感動しました。帰ってから教会員にも話しました。

◎7月23日(水)からは三男の部屋に5月の連休ぶりにお邪魔することになりました。いつも彼が寝ているベッドに私が、居間に主人と自分のマットレスを敷いて寝てくれます。

◎7月25日(金)には三男を連れて3人で伊勢原の教会に元鹿児島の教会で仲良くしていただいていた先生方を訪ねました。お会いした時、R子先生とハグしました。先生の力強さにびっくりしました。「また、お会いできるなんて思ってもみませんでした。こんな遠くまで来て下さって有難うございます。」と言っているようでした。三男とは世界食料デー鹿児島大会で一緒にご奉仕しましたと覚えていてくださいました。

そこでお話ししたことは、これも証詞です。『私たちは開拓伝道だったので、収入は4分の1になり、おかゆを4年間食べて、お魚もお肉も買えなくて、たん白質は卵と豆腐から摂ったという事、またそれが出来たのは、母がそれ(おかずはキャベツに酢がかかったものか、ダイコンおろしに醬油をかけたもの)をしてくれて、そんなことで親を軽蔑したり、嫌いになったりはしないという事、家族で食事が出来るって幸せだなという事を学びました。

何でも与えられていると工夫する事ややりくりする事、つまり考えるという事をしなくなりますし、乗り越える力が弱くなります。

『母が良く話を聞いてくれて、よく話をしてくれました。「その人はこうして欲しいんじゃないの?」「こうしてみたらどう?」とかーそれが何よりの御馳走でした。神様が母を与えて下さって、母を通してこういう事を教えて下さったんだと思いました。』と証詞しました。

お昼は一緒にしましょうとR子先生「推し」のレトルトカレーを用意して下さって、昼過ぎまでたくさんお交わりをしました。お別れの時、またR子先生とハグしました。スポーツをしていた私より力強くて「今度はいつ会えるんでしょうね。今日はありがとうございました。」と言ってるようでした。後でメールが来て「「楽しくて、たのしくて、たのしいお交わりを心から感謝します。主に栄光!」」とありました。

私はこちらに来ただけで、疲れとかまだとれてなかったのに金曜日に出かけたので前日(土曜)はぐったり疲れてしまっていて、日曜日の御用はちゃんとできるかしら?と思っていましたら、「昼から講演会もお願いしますと言われた」と三男が言ったので、「うわ~、神様身体を御支え下さい!」と祈りました。

人の心には多くの計画がある。しかし【主】のはかりごとだけが成る。箴 19:21

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