証詞(あかし)ってなぁに?(2A) 佐多多視子
~ 子育てができません。どうしたら ・・・~
証詞とは、『神様の恵みを体験したことを伝える事』です。
◎7月27日(日) 町田聖書教会、第1礼拝は主人がメッセージで、第2礼拝は私一人で証詞です。まず、初めてのところでは学校関係でお話しさせて頂いているお話をします。但し、学校関係の主催は教育委員会(文部科学省)なので『神様』とか『お祈り』とかいう言葉は使いません。ここは教会なので使用します。
『愛は礼儀正しい』第Ⅰコリント13:5
『今年50歳になります長男が幼稚園の年中さんの時お友達の手首を噛んだというお話です。ある日、幼稚園からTELがありました。「お宅のN君が同じクラスの子の手首を噛んで歯形が残っています。」
私は今何を聞いたのかしら?と思いました。あっ、私はいま幼稚園の先生とお話してるんだ。Nが人を嚙んだと言われたんだ。あー、何か言わなくては―「あのう、相手のお母さんに謝らなくては―、相手の電話番号を教えて下さい」と言いました。目の前に幼稚園の名簿があるのですが、それをめくる力も、探す力もありませんでした。
「いえ、向こうのお母さんもご存じですから、よろしいです。佐多さんに謝られたら相手のお母さんも恥ずかしいですから」と言われました。
それはこういう事です。相手のお子さんは同じ年中さんの子供さん達より頭一つ大きくて、(ただし大きい子供さんでもおとなしい優しい人もいると思いますが)、その子供さんは力が余っているようで、いつも自分に寄って来る人を殴ったり、蹴ったりしていました。それを何度も私も見ていました。
でも、だから噛んでも良いという事にはなりません。何をして日を過ごしていたか分かりません。買い物に行ったのだろうか?料理は作ったのだろうか?神様に祈りました。「子育てができません。どうしたらよいでしょうか?」
すると3日ほど祈った後、ある場面を思い出させて下さいました。―それは、私が次男を抱いてあやしていると、違う方向から視線を感じたので、そちらを見たら長男がこちらを羨ましそうに見ていました。私はハッとして「N君こっちにおいで」と言ったら「Mちゃん(次男の名)がつぶれるから良い」と言いました。
そんなことを考えてたんだと思って、ちょっと考えて、左手で次男を脇の方にグググ~と抱いて、こっちがN君のお膝で、こっちがMちゃんのお膝だからおいで」と言ったら「ぼく、お兄ちゃんだから良い」と言いました。「あーお兄ちゃんでも、お母さんのところに来ても良いのよ」と言いました。
そのあと3回ほど言いましたが、最後は反対方向に顔を向け、「ぼくお兄ちゃんだもん!」と言って歩いて行きました。―――
その時は、せっかくお兄ちゃんになろうと思ってるんだから良いんだと思いましたが、なぜ人を噛んだんだろう。これから子育てどうしたら良いんだろう?と神さまに祈っている時、思い出させて下さったのがその事だったんです。』 つづく
次回、どうやってその後 子供に接していったのかを証詞します。
すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。マタイ11:28
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