変わった将来の夢
〜「おじいちゃん、僕、脚本家になるのをやめて…〜
私は牧師の傍ら「世界の飢餓と食糧事情」について、幼稚園、小学校、中学校で出前授業をさせていただいております。
お話しを聞いてくれた子供たちが感想文を書いてくれますが、それを読むと、世界には自分たちの想像を超えた厳しい環境で生活している子供達が沢山いることに驚きを覚え、自分たちができることを探し、何とか助けになれないかと真剣に考えてくれているのが分かります。
さて、先日千葉から長男家族が子供達の春休みを利用して帰省してきました。そして、嫁が子供たちにその飢餓に対する小学生の感想文を読んで聞かせていました。子供達はそれを熱心に聞いており、私にもっと詳しく教えてと言ってきたので、ビデオを見るように勧めました。
彼らがそれを見終わると、先日卒園式を終え、新1年生になるK君が私の所に来て「おじいちゃん、僕脚本家になるのをやめて牧師になる。」と言ってきました。彼は昨日まで脚本家になりたいと言っていたのに、そのビデオを見、さらにお母さんの説明を聞いて、思いが変わり、将来世界の貧しくて苦しんでいる人々を助けるために働きたいと思いが変わったようです。
妻がそれを聞いて「K君ならきっと良い牧師さんになれそうだね。」と言うと、にこにこ笑って嬉しがっていました。そして、「弟(2歳)のTちゃんがお父さんの後を継いで、心の病気の人を助ける働き(精神科医)をして、僕は世界の食べられない人を助ける働きをする。」と言っていました。
飢餓の働きはボランティアなので、「やがて君が牧師をしながらその働きをして、お姉ちゃん(新3年生)や弟にも協力してもらったらいいね。」と言いながら、彼らの将来を想像して嬉しくなりました。
そして、お姉ちゃんと彼はお母さんからもらった月のおこずかいを教会堂に置かれている飢餓の募金箱に募金してくれていました。
子供達が書いてくれた感想文を読みながら、彼等の純粋で優しい心遣いにいつも感動させられますが、今回は自分の孫たちがそのような思いを持ってくれたことを嬉しく思い、ぜひこの思いを持ち続けてくれるようにと願いました。
私たちが正しかったから、また賢かったから豊かなのではありません。私たちは自然環境に恵まれた良い国に生まれただけであって、飢餓の国に生まれた人は生涯貧しさと向き合っていかなければならないのです。
神様は貧しい人々を、いつも気をかけておられます。そして、豊かな人が貧しい人々を助けるようにと命じておられます。
またあなたのぶどう畑の実を取り尽くしてはならない。あなたのぶどう畑の落ちた実を集めてはならない。貧しい者と在留異国人のために、それらを残しておかなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。レビ記19:10
キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。世の富を持ちながら、兄弟が困っているのを見ても、あわれみの心を閉ざすような者に、どうして神の愛がとどまっているでしょう。子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行ないと真実をもって愛そうではありませんか。それによって、私たちは、自分が真理に属するものであることを知り、そして、神の御前に心を安らかにされるのです。Ⅰヨハネ3:16~19
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