イエスを信じる者は神の栄光を見る

マルコの福音書5章21-43節より

2020年5月31日主日礼拝メッセージ

アメイジング・グレイス・キリスト教会

会堂管理者ヤイロは死にそうな娘の命を救うために、イエスにひれ伏し助けを求めます。彼の信じてきた宗教も、人生の経験も役に立ちません。

全ての助けを放棄して、イエスだけを信じることによって死んでいた娘はよみがえりました。

聖書にはたくさんの奇跡の記事があります。奇跡も含めて聖書すべてを神の真実な言葉として受け入れることが大切です。キリストこそが奇跡をなさる唯一のお方です(詩篇136:4)。

死人のよみがえりは、キリストの十字架の死と復活の信仰に関わり、キリスト教の中心です(Ⅰコリント15:13-20)。

キリスト信仰は知識の宗教ではなく、イエスを信じて、人間の限界である罪と死に勝利して(ローマ8:37)、神様の力を受ける生き方です(Ⅱコリント3:18)。

人間的には完全に絶望の状況の中で、神の救いが起こされます。

終わりの日にイエス様は死んだ者たちに「タリタ、クミ(わたしの小羊よ、起きなさい)」と呼びかけられます。

そしてキリストを信じた者は、完全に勝利して、よみがえり、永遠の命を受けます(ヨハネ5:28-29)。

実在する悪魔に打ち勝つ、権威あるお方キリスト

マルコの福音書5章1-20節より

2020年5月24日主日礼拝メッセージ

アメイジング・グレイス・キリスト教会

ゲラサの男はたくさんの汚れた霊につかれて苦しんでいました。彼は人里から離れて気味の悪い墓場に住み着き、凶暴で、昼夜叫び続け、自身を傷つけていました。それは神から離れて罪の奴隷として生きる人間の姿です。

最初の人アダムが神様にそむき、罪を犯したために、罪と死が世界に入り、すべての人は罪と死に支配されています(ローマ5:12)。今の世は悪しき者が支配して、悪霊は人間を罪に誘い、神様から引き離そうと働いています。悪霊は人間の不純な心、欲望などを通して、人間の魂を破壊していきます(ヤコブ3:14-16)。

しかし、この世の悪霊の働きは、神様のご支配の中にあります。キリストの十字架の死とよみがえりにより、悪魔の敗北はすでに決定しているのです(ヨハネ16:33)。

キリストは罪を赦す権威を持ち(マルコ2:10)、悪魔の支配から人間を救い出すために来られました(へブル2:14-15)。魂の深い問題に苦しむ人をキリストは癒されます。

キリストを神の御子と信じる者は、神の御霊(みたま)を持ち、罪に打ち勝つ力が与えられます(ヤコブ4:7)(Ⅰヨハネ4:4)。

「それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。」

(使徒の働き26:18)

生きるも死ぬもキリストがともにおられる

マルコの福音書4章35-41節より

2020年5月17日主日礼拝メッセージ

アメイジング・グレイス・キリスト教会

嵐で舟が転覆しそうになったイエスの弟子たちは恐れて平安を失います。

人間は思いに支配されて、自分の恐れを引きずって生きています(ヨブ記3:25-26)。

キリストの弟子の心がかたく、岩地やいばらに蒔かれるみことばの種のたとえを思い出します(マルコ4:16-19)。

生きるということは何かを信じることです。何を信じるかが大切なのです。人は信じるもの以上にはなれません。自分の力や経験に頼るだけは限界があります。生きて働かれている全能の神様への信仰が必要です。その信仰はあなたの少しの意志を通して神様が与えて下さいます(Ⅰペテロ1:21)。

キリストを信じて生きるとき、試練や問題がなくなるわけではありません。かえってキリストを信じるための試練が生じるかも知れません(ピリピ1:29)。救われた者として罪との戦いもあります(Ⅰテモテ6:12)。

しかし、キリストは決してあなたを一人にせず、その試練をあなたと一緒に生きてくださいます(イザヤ書43:1-2)。

この天と地のすべての支配と権威の上におられる神様があなたを支え(マタイ28:18,20)、心も信仰も守ってくださいます。

自然を治め、時間を支配し、死に勝利された唯一の主なるイエス・キリストを信じるなら、全ての人の最後の敵である死も恐れず、信仰による希望を生きることができます(Ⅰコリント15:54-58)。

光と種と関係にあらわされる神の御国

マルコの福音書4章21-34節より

2020年5月10日主日礼拝メッセージ

アメイジング・グレイス・キリスト教会

ここでは神の国のことを光や種(たね)としてたとえています。

光は照らすために存在するように、神の国も隠された奥義ですが、必ず明らかにされます。種は内側に命を持ち、成長して花が咲き、実を結ぶように、キリストが来られたことにより、神の国は今現実に到来しています。伝道によってみことばが蒔かれて神の力により、今も成長しています。実を結んだ時が収穫であり、終わりのときに神の国が完成します。

神さまの御心は人々がキリストを信じて神の国に入ることです。キリストの教えの中心は神の国です。

神の国に先に入ったのは、この世の知者や支配者でなく、取税人や遊女と言われた罪人たちでした。自分の罪深さを知り、素直にキリストの招きに、悔い改め、自分を卑しくした者たちでした(マタイ25:32)。

神の国とは、愛の神の完全な正しい支配です。この世では、貧しい者、きずついた者、しいたげられている者、孤独な者も、神さまにとっては、ひとりの人間として大切な存在であり、その高価は変わることなく、愛されています。

罪に汚れた者のためにキリストは救い主として来られました。

キリストは完全な光であり、暗い所がまったくありません(Ⅰヨハネ1:5)。ですから神の目から失われて、罪の闇の中で絶望して、死んでいた人間に命の光を与え、闇の中から救い出すことがお出来になります。

そのために、キリストご自身が一粒の種として地に落ちて(ヨハネ12:24)、罪なきお方がすべての人間の罪を身代わりとなられて十字架で死ぬことにより、私たちに神の永遠の命を与えてくださいます。

たとえに隠された真理を知る鍵は信仰と愛

マルコの福音書4章1-20節より

2020年5月3日主日礼拝メッセージ

アメイジング・グレイス・キリスト教会

イエスはたとえを用いて御国の福音を語られました。たとえは誰にでもわかりますが、人間の知恵によらず、イエスが神の御子で救い主だと信じることが大切です。神様に対して心が開いて聞く者はたとえが意味する霊的な真理を悟ることができます。

種蒔きのたとえはキリストの教えを聞く人の心の霊的な状態を表わしています。

イエスの言葉を聞いても、現実の問題だけに心とらわれ、心をかたくなにして、富や栄誉、罪の欲望に生きるなら、神の命の御言葉は実を結びません。

しかし、心の姿勢を低くして、真実なお方であるイエスに信頼して、素直にイエスを求めるならば、その心に神の言葉が植え付けられます。神の聖霊の働きにより、心が変えられ、豊かな実を結びます。

種は本来、成長して花を咲かせ、実をつけるものです。信じる者には神が渇くことのない命を与えてくださいます。

「ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。」

(ヤコブの手紙1:21)