光と種と関係にあらわされる神の御国

マルコの福音書4章21-34節より

2020年5月10日主日礼拝メッセージ

アメイジング・グレイス・キリスト教会

ここでは神の国のことを光や種(たね)としてたとえています。

光は照らすために存在するように、神の国も隠された奥義ですが、必ず明らかにされます。種は内側に命を持ち、成長して花が咲き、実を結ぶように、キリストが来られたことにより、神の国は今現実に到来しています。伝道によってみことばが蒔かれて神の力により、今も成長しています。実を結んだ時が収穫であり、終わりのときに神の国が完成します。

神さまの御心は人々がキリストを信じて神の国に入ることです。キリストの教えの中心は神の国です。

神の国に先に入ったのは、この世の知者や支配者でなく、取税人や遊女と言われた罪人たちでした。自分の罪深さを知り、素直にキリストの招きに、悔い改め、自分を卑しくした者たちでした(マタイ25:32)。

神の国とは、愛の神の完全な正しい支配です。この世では、貧しい者、きずついた者、しいたげられている者、孤独な者も、神さまにとっては、ひとりの人間として大切な存在であり、その高価は変わることなく、愛されています。

罪に汚れた者のためにキリストは救い主として来られました。

キリストは完全な光であり、暗い所がまったくありません(Ⅰヨハネ1:5)。ですから神の目から失われて、罪の闇の中で絶望して、死んでいた人間に命の光を与え、闇の中から救い出すことがお出来になります。

そのために、キリストご自身が一粒の種として地に落ちて(ヨハネ12:24)、罪なきお方がすべての人間の罪を身代わりとなられて十字架で死ぬことにより、私たちに神の永遠の命を与えてくださいます。