マルコの福音書4章1-20節より
2020年5月3日主日礼拝メッセージ
イエスはたとえを用いて御国の福音を語られました。たとえは誰にでもわかりますが、人間の知恵によらず、イエスが神の御子で救い主だと信じることが大切です。神様に対して心が開いて聞く者はたとえが意味する霊的な真理を悟ることができます。
種蒔きのたとえはキリストの教えを聞く人の心の霊的な状態を表わしています。
イエスの言葉を聞いても、現実の問題だけに心とらわれ、心をかたくなにして、富や栄誉、罪の欲望に生きるなら、神の命の御言葉は実を結びません。
しかし、心の姿勢を低くして、真実なお方であるイエスに信頼して、素直にイエスを求めるならば、その心に神の言葉が植え付けられます。神の聖霊の働きにより、心が変えられ、豊かな実を結びます。
種は本来、成長して花を咲かせ、実をつけるものです。信じる者には神が渇くことのない命を与えてくださいます。
「ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。」
(ヤコブの手紙1:21)