宗教ではなく、イエスを愛する心により神がきよめられる

マルコの福音書7章1-13節より

2020年7月26日主日礼拝メッセージ

アメイジング・グレイス・キリスト教会

宗教に熱心なユダヤ人たちは神の言葉を厳格に守りたいと願いました。自分たちのあらゆる生活の中で神の言葉を忘れずきよくあろうとしました。彼らは、しだいに細かい規則を付け加え、とてつもない多い決まりごととなって自分たちを苦しめる重荷になってしまいます。

彼らの宗教は律法を守ることであり、律法を守らないことが罪であると考えました。しかし、イエスは律法を守ることは、互いに愛すること、助けることだと言います。

わたしたちの住む社会には憲法や刑法や交通規則、いろんな法律があります。しかし、法律は私たちを完全に守ってくれません。

それは、人間は決まり事を完全に守ることができないからです。また、心の悪い思いまでは取り締まることはできません。誰にも見つからないならば、人間は立派にふるまうことは難しいからです。

法律は、外面的な行いを見張ることは出来るかも知れませんが、行いの動機である内側の心を正しく変える力はありません。

法律ではなく、人間の心のすべてをご存知の神様を生きる基準としなければなりません。人間の健全な状態は刑罰がなくても正しく生きることなのです。神を恐れること、悪から離れることなのです。

そのためにキリストはあなたの心のドアをノックして語っておられます。

人間の心をきよく、正しく、健全にするのは、まことにきよいお方であるキリストだけです。キリストが十字架で死んでくださったことを信じるならば、あなたの罪をゆるされ、けがれはきよめられます。

真理であるキリストがあなたを自由にします。そのとき、あなたが神さまに造られた大切な高価な愛された存在として生きるために、神の言葉、すなわち、聖書に従って生きていく心に変えられるのです。

荒野と嵐

マルコの福音書6章45-56節より

2020年7月19日主日礼拝メッセージ

アメイジング・グレイス・キリスト教会

5千人の給食の奇蹟の後、イエスは祈るために山へ、弟子たちは舟で湖へと漕ぎ出しました。

私たちは神の奇跡のただ中から、日常へと戻っていかねばなりません。そこで、さまざまな問題や試練に遭遇します。

けれども、イエスと離れて、私たちだけでそれらに立ち向かうのではありません。イエスは弟子たちが向かい風のために船を漕ぐのに苦労しているのをご覧になっているのです。イエスはあなたをいつも見て、知っておられます。

「わたしはある」とおっしゃる永遠の存在なるお方を受け入れるなら、あらゆる恐れは取り去られます。

真っ暗な嵐の中でひとりぼっちに思える時も、イエスはあなたのすぐそばにおられます。問題は私たちの心が鈍くなって、心の目が閉ざされて、イエスがおられることを信じられないことです。

神の奇蹟が行われる山の上、荒野から救い出される神を体験して、山を下って、嵐の海で、信仰をもって神の力を知り、神の存在を離れずに生きていきましょう。

キリストが十字架で命を与えるパンとして割かれ、信じる者はキリストの命と一つとされました。キリストはいつもあなたのそばにおられます。いかなる力もあなたとキリストの愛から引き離すことはできません。その時、嵐はやみ、混乱は平和に変わります。

まことの命のパンを与えるキリスト

マルコの福音書6章30-44節より

2020年7月12日主日礼拝メッセージ

アメイジング・グレイス・キリスト教会

この5千人の給食の記事は4福音書に記されている最大の奇蹟です。毎日世界の人間の食べ物を与えられる神様の命の奇蹟をあらためて覚えます。

イエス様は羊飼いのいない羊のような群集をみて、深くあわれまれ、ご自身の休み時間も忘れて命の言葉を語られます。羊飼いがいなければ、羊は歩むべき道がわかりません。食べ物を手に入れることができません。敵に対して身を守ることができません。病の癒しが必要でなくても、たましいは疲れ病んで、イエス様なしでは私たちはさまよう羊のような弱く無力な存在なのです。

イエス様は少年の5つのパンと2匹の魚から約2万人の空腹をいやされます。この少年の差し出したパンはもっとも貧しい者たちの食物とされる大麦の小さいパンでした。神さまは小さくても神様のために喜んで与える者を祝福してくださいます。

十字架で命を捨てられたイエス様こそが、天からのまことのパンであり、罪の世に下り、永遠のいのちを与える神のパンなのです。

天にかざし祝福してさかれたパンは十字架でさかれたキリストの体です。キリストは私たちをあわれみ、日ごとの糧を与え、たましいの飢え渇きを満たす、霊の糧を注いで下さいます。

働き疲れて、何も持たない弟子たちをイエス様は試され、訓練されます。与えてくださる方、頼るべきお方は復活されて今、生きて働かれるイエス様なのです。

キリストに従う苦難は栄光に変えられる

マルコの福音書6章14-29節より

2020年7月5日主日礼拝メッセージ

アメイジング・グレイス・キリスト教会

ヘロデの生き方を通していかなる権力があっても、幸せになれない人間の姿があります。

人間は自分にとって都合のよい神に限定しようとします。自分に都合の悪い、聖書の言葉を聞くとき、痛みがあり、悲しみがあります。しかし、キリストの十字架の救いにより、悲しみは、まことの喜びに変えられます。

神の言葉よりもサロメの踊りを受け入れる罪の性質が人間にはあります。神を牢につなぐことは決してできません。人間こそが罪の支配により鎖につながれていたのです。

ヨハネはヘロデの軽はずみな言葉で、人間の都合であっけなく殺されてしまいます。キリストの救いは人間の感情よりも優先される一番大切な真理です。いのちを与えてくださる神を拒絶することは死を意味します。

真理のために生きたヨハネは神に対しては決して死ぬことなく命を得ます。ヨハネの受難はキリストの十字架の死と復活を指し示しています。

キリストに従い、この世で敗北者のようにみじめに思える時も、永遠の救いの中で圧倒的な勝利者として完全にキリストと同じ性質に変えられ、神の家族とされます。神は信じる者を死んだままにされず、命を与えられます。