マルコの福音書11章1-11節より
2021年1月3日主日礼拝メッセージ
11章からはイエス様のエルサレムでの最後の1週間の出来事です。今日の箇所は十字架で死なれ復活される1週間前のしゅろの週と言われるお祭りです。
イエス様はろばの子に乗りエルサレムに来られました(勝利の入城と言います)
救い主を喜んで、ユダヤの人たちは、自分の上着を道にしき、しゅろの枝を振ってイエス様をお迎えします。彼らはイエス様が王となられ、武力や政治によって、自分たちを貧困や、しいたげ、苦しみ、差別、病から救い出してくれると考えました。しかし、ろばに乗られるイエス様は、父なる神様に素直に従い、柔和で平和な君を象徴していました。愛して仕えることにより、まことの永遠の平和の王国を建てるため十字架に向かわれます。罪からの救いを与えるお方です。
イエス様を迎えた民衆たちは1週間後にイエス様を十字架につけろと叫ぶ者に変わります。
親の愛を子どもはどれくらい深く知っているでしょうか。親の愛の深さを知るためには、子供の人格の成長が必要です。
神の愛と救いを知るために、神の約束である、聖書の御言葉を求めて、信じることが必要です。罪の自覚による心の悔い改めが必要なのです。
熱狂的な世の中のコマーシャル、中身のない見栄え、お祭り騒ぎに救いはありません。ただ熱い思いだけでは救いはありません。万物の創造主、宇宙の主権者である唯一の神、聖書でご自身を現されるイエス様が人間を救うお方なのです。
世の中は私たちに本当に必要で正しいことを与えているでしょうか。神様は、私たちに本当に必要な大切な救いを与えようとされ、ひとり子イエス様を十字架につけられました。それほどまでに神様はあなたを愛されています。
聖書の預言はすべて成就してきました。まもなく、残された預言、イエス様がさばきのために来られて、終わりの時がきます。この世はいつまでも続きません。
人間の考えた救いは何の力もありません。イエス様を信じる者は救われます。
アーメン。