慰めのメッセージ、信仰の招き

イザヤ書40章より

2020年8月1日主日礼拝メッセージ

アメイジング・グレイス・キリスト教会

イザヤ書は小さな聖書とも言われます。聖書は天地創造、人間の堕落、キリストの救いの預言と成就、聖霊降臨と教会の誕生、終末のこと、さばきと罪と死が滅ぼされて新しい神の国の完成について書かれています。イザヤ書40章(新約の福音書‐よい知らせ)からは聖書中、もっとも人知を超えた希望と慰めのメッセージです。

神に背き続けてバビロンに捕えられ支配されたイスラエルを解放する預言です。しかし、それだけでなく、来るべきキリストによる罪からの解放のメシヤ預言です。また、終末の救いの完成の預言でもあるのです。

荒野で神の言葉を語る代言者は、罪を悔い改めよと叫びます。罪深い生き方から神に立ち返るならば、すべての問題は回復されます。神はイスラエルの回復のためにバビロンという異邦人の国さえも用いられます。問題はバビロンではなく、天地万物を創造され、歴史を支配される神を見上げることなのです。このお方との関係の回復が必要なのです。

「荒野で叫ぶ者の声」は新しい契約である新約聖書ではバプテスマのヨハネによって成就しました。神のご計画の時に救い主キリストがこの世界に入られたのです。待ち望んだ旧約聖書に預言されたキリストが十字架で新しい契約、すなわち罪の贖いを成し遂げられたのです。イザヤ書53章に書かれた苦難のしもべとは、神に供えられた人間の罪の身代わりのいけにえの子羊です。十字架において神の義と愛によるご計画が最高潮に達します。

そのような偉大な神がおられるにもかかわらず、人間は置かれた状況や問題で自分は神に見捨てられた存在であると不信仰に歩んでいます。盲目にされ神を見ることができません。罪の生き方が変えられず、永遠の滅びに向かっているのです。

この世の誘惑や間違った教えにさらされ、人々は自分自身を見失い疲れ果てています。まことの神が必要なのです。神は決して疲れることがありません。休むことなく、いつも私たちを見守っておられます。自分の悟りに頼らず、確信して神のみもとに留まり、期待して神を待ちましょう。神が与える癒しは単なる疲労回復ではありません。キリストを死者の中からよみがえらせた命の新しい力による生き方です。

人里はなれた王者のような威風堂々たる鷲のように、人の知恵や経験では決して到達できない神の支配にある天の御国にあなたは今すでに生かされています。それが神の言葉を信じる者の新しい歩みです。信仰がそれを可能にします。この素晴らしい信仰へと神はあなたを招いておられます。

しかし、【主】を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。」

(イザヤ書40章31節)