闇から光へ

ヨハネの手紙 第一1章5-10節より

土山みことばキリスト教会

2022年1月16日

すべての人間は罪人であり、人は罪を犯すから罪人なのではなく、罪人なので罪を犯すのです。

神と言われるものを信じている人はたくさんいます。しかし、天地を創造して、あなたの命を造られた聖書で明らかにされる唯一の神を信じなければ、まことの神との交わりの喜びはありません。神を信じていると言っても、なお罪の闇の中にいる人は、神との関係に生まれる命がないのです。

神は光であり、完全に聖く、正しく、愛なるお方です。この神と交わり、真理の歩みをするためには、人間は罪のない光の中を歩まなければなりません。

その光の中に入ろうとする者には、イエス・キリストの十字架の血が、罪汚れをきよめ続けて下さいます。キリストが罪のきよめのために流された血こそが、驚くべき神の罪の赦しの根拠なのです(ヘブル人への手紙9章14節)。

神の光の中に生きることは、あなたのすべてを神の御手にお委ねすることです。罪深さも汚れも、誰も知らない苦しみ、悲しみも、人知れず流した涙も労苦も神はすべてご存知です。何も飾らずありのままの姿でキリストを信頼するなら、神はすべての赦しと癒しをくださり、まことの喜びに生きる者としてくださいます。

この神の光は、罪の闇の中にいる者を照らします。神に背を向け、自分自身の暗い影を見つめ続けて生きてはいけないのです。神の光に罪を示されたなら、あなたがすべきことは180度方向転換して、神に従う生き方に態度を変えることです。

そのとき、神の光があなたのすべての影、闇を消し去ってくださいます。

神の御子キリストが十字架で死んでくださったのはあなたへの愛の証しです。

この神の光の中を生きようではありませんか。

イエス・キリストの福音はまことの喜びを与える

ヨハネの手紙 第一1章1-4節より

土山みことばキリスト教会

2022年1月9日

「人生には何か真実な意味があるのか。この世には本物らしく見えても、偽物がある。清らかで正直に人生を送ることは、重要なことなのか。他の人たちを愛そうが、愛すまいが、結果としてその人々に違いはあるのか。神(特にイエス・キリストを通して明らかにされている神)を信じたとして、その信仰が実際にどのように人生や物事を変えるのか…」

これらは、いつの時代も変わらない人間の問いかけです。その答えとして、間違った思想がキリストの時代からありました。

しかし、誤った教えが、どんなに魅力的であっても、それは本当の幸福をもたらすのではありません。しかし間違った教えの中で、誰も思いもしない、消し去ることのできない偉大な教えがありました。

それは、神が人となられて、私たちが生きているこの世界に来られたことです(ヨハネの福音書1:14)。人間は神になれませんが、神は人間になることができるのです。著者のヨハネは、イエスがその神のキリストであることを、実際に見て、聞いて、触れ合って知りました。

永遠の昔から存在した福音(キリストが十字架で死んでくださり人間を罪から救ってくださるよい知らせ)が人間イエスの言葉により、私たちに示されたのです。もう、人間の知識から真理を必死に探し求める必要はありません。

この福音により、人間は罪赦され、罪に打ち勝つ勇気と力を受け、神との関係を回復し、神の愛を受け、悪の力から解放され、死から命に変えられます。

イエスが十字架で死んでくださり、私たちへの愛を示してくださったので、私たちは愛し合うのです。イエスにより罪赦されたので、赦し合うのです。

このイエスとの交わり、喜びは他のいかなるものからも決して得られません。

あなたの人生を新しくするイエス・キリストを救い主としてお迎えしませんか。