キリストが悪魔の罪の支配から人間を解放する

ヨハネの手紙 第一3章8-12節より

土山みことばキリスト教会

2022年3月13日

悪魔は罪を犯すことを主義として、生業(なりわい)としています。悪魔はキリストを信じる者が神の子とされる神さまのご計画を妨げ、人間に罪を犯させ、その罪責を攻めたて、すきあらば人間を滅ぼそうと狙っています(Ⅰペテロ5:8)。

悪魔はキリストの十字架、キリストの誕生をも妨害しました。それどころかキリスト誕生以前の彼の血統にさえも悪魔の手は及んでいたのです(旧約聖書)。

その一番最初の出来事が、創世記3章にある人間の罪の堕落(だらく)です。

最初の人アダムが悪魔の誘惑に敗れ、罪を犯した結果、彼の子孫、すなわち全人類は罪ある者として生まれてきます。罪の堕落の結果、人間は神さまとの関係を失い、刑罰として死が与えられました。

神から離れた人間は悪魔の支配にあり、死の力に縛られています。しかし、人となられたキリストがこの悪魔の力を十字架で打ち壊してくださいました。

「そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。」(ヘブル2:14-15)

キリストを信じる者は悪魔の子から神の子どもとして新しく生まれます。神の子どもは習慣的・意識的な罪を犯さず、義(正しさ)を行い、隣人を愛します。この罪・義・愛は密接に関係しています。

愛は罪を犯させません。義(キリストと正しい関係に生きること)は罪から離れさせ、愛の働きをなさせます。

人が愛し合うところに、神さまのご支配が現されます。そこには決して悪魔は入ることができません。キリストの十字架こそは神の愛のしるしです。感謝します。

「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」 (ローマ5:8)

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