お金で買えるもの、買えないもの

土山みことばキリスト教会

心地よいベッドは買えるが、安眠は買えない
 食物は買えるが、食欲は買えない
 家は買えるが、家庭は買えない
 薬は買えるが、健康は買えない
 楽しみは買えるが、幸福は買えない
 お金があれば、何でも買えるわけではない


かつてイギリスで「お金とは何か」の定義を新聞で募集しました。その一等に当選した定義はこれです、「お金とは幸福のほかは何でも買うことができ、天国のほかはどこへでもいけるパスポートである」。お金は便利なものですが、勘違いしてはなりません。
 

「人の心には神以外のものでは埋め尽くすことのできない空洞がある」パスカル 

イエス・キリストが与えてくださる救いは、無代価です。ただ信じれば、救われます。お金を出しても買うことはできないものです。しかし、安っぽい救いではありません。救いは、キリストの命の代価が支払われたので、信じるだけで得られるのです。プライスレスという英語があります。プライスは値段という意味であり、レスは打ち消しです。しかし、無価値なという意味ではありません。その反対です。貴重なという意味です。値段がつけられないほど尊いという意味なのです。神の救いもプライスレスです。キリストが十字架で命を投げ出して、救いの道を開いてくださったのです。

ひとりの伝道者がインドの老齢の真珠採りと親しくなりました。伝道者はイエス・キリストの救いを語りました。しかし、彼は、ヒンズー教では難行苦行しなければならないのに、信じて救われるのは簡単すぎると言いました。ある日、老人は彼に言いました、「明日、巡礼に出かけます。どうぞお別れにわたしの家に来て食事をしてくださいませんか」。食事が終わった時、隣の部屋から老人は小さな箱を持ってきました。そして伝道者に箱を渡しながら言いました、「本当に親切にしていただいたのに、キリストを信じないですみません。しかし、わたしの心からのお礼のしるしにこの真珠を差し上げます」。伝道者はふたを開けてみると、今まで見たこともない見事な真珠です。驚いて、「とんでもありません。これを買わせてください。数百ポンドの値打ちがあります」。

しかし、老人は激しく首を振りました。「わたしは売ろうとは思いません。この真珠は数千ポンドでもすぐ売れるでしょう。もし売れば金持ちになっていたでしょう。けれども売るつもりはありません。わたしには息子がいました。真珠採りでは町一番でした。ところが、ある日、この息子が水にもぐったまま上がってこなかったのです。長い間たって、息子は浮き上がってきました。そして、その時、息子はこの真珠をしっかり握りしめていたのです。この真珠はわたしの命なのです。これを売るわけにはいきません。ただ心からのお礼として受け取ってください」。

伝道者はもう何も言えませんでした。しかし、しばらくして口を開きました、「わかりました。喜んでいただきます。しかし、一つ考えてくださいませんか。神がそのひとり子イエス・キリストの命によって救ってくださるのに、わたしたちがそれを買うことができるでしょうか?」。真珠採りの老人は考え込みました。そしてやがて言いました、「わかりました。神の救いは買う事ができないのですね。ただ信じて救われたいと思います」。

出典:日本福音書房 「恵みのことば」第11号

自分を馬鹿(ばか)にした人たちを救った青年

山本忠一

土山みことばキリスト教会

日本ではあまり知られていませんが、昭和の中頃、愛の実践において光り輝いた人がいました。その名を升崎外彦という、牧師さんです。和歌山県の南部(みなべ)という小さな町で、労祈祷(ろうとう)学園という塾を経営していました。

土地の人々はこれを「アホ学園」と呼んでいました。この労祷学園に知恵遅れの少年が加わったのを知った近所の人が、門柱にペンキで「アホ学校」と落書きしたことがきっかけとなって、それが呼び名となり、南部名物の一つになりました。

この少年は山本忠一といって、幼い頃脳膜炎をわずらった孤児でした。大食いと寝小便のゆえに、親類も愛想をつかし、捨てられて乞食をしていたのを、升崎牧師が世話をすることにしたのでした。連れ帰ったその夜から、升崎牧師は少年を自分の寝床に寝かせたのですが、朝になるとこの少年は大きな地図を布団いっぱいに描いていました。

この知恵遅れの少年、何の取柄もないと思われている「忠ヤン」(升崎牧師は忠一のことをこう呼びました)にも人に真似のできない、ハエをとるという一つの特技がありました。ハエと見るや、知恵遅れ者特有の落ち着かない目が俄然輝きだして、ハエを見つめながら左手左足で調子をとって右手の指先でパッと打ちました。それは百発百中、神技ともいうべきものでした。

しかし忠ヤンが加わったことにより労祷学園が「アホ学校」と名付けられた事を他の青年たちが問題にしました。そして升崎牧師に、「忠ヤンが労祷学園に出入りしないようにして欲しい。忠ヤンが加わるのなら自分たちは出て行く」とつめよりました。これにはさすがの升崎牧師も苦しみました。聖書には「もし誰かが百匹の羊を持っていて、そのうちの一匹が迷い出たとしたら、その人は99匹を残して、迷った一匹を探しに出かけないでしょうか。」とあります。才能のある7人の青年と、1人の知恵遅れの少年と、どちらを選ぶべきか?思い悩んでいるうちに、7人の青年は去って行きました。

ところが、忠ヤンもある日外出したまま、夜になっても帰ってこず、八方手を尽くしてもその消息は全くわかりませんでした。どうやら、昔の放浪癖が出て、足に任せてどこまでも歩いて行ってしまったようです。

忠ヤンがいなくなってしまってから数年後のこと、彼が機帆船に拾われて働いていることを升崎牧師は風の便りで知りました。ところが、昭和14年のある日のこと、一人の紳士が突然升崎牧師を訪ねて来て、言いました。
「あなたは何年か前に山本忠一という子供をお世話くださった升崎先生ではありませんか?」

「おお、あなたは忠ヤンの消息をご存知ですか?」

「実はその忠ヤンが立派な働きをして死にました。これが忠ヤンの形見です。」

その紳士はそう言って船の舵輪(だりん)を差し出しました。彼は忠ヤンの乗っていた機帆船の船長でした。彼は次のように語りました。

「ある日、機帆船幸十丸は、荷物を満載して紀州尾鷲港を出ました。出帆後間もなく海がしけ出し、新宮沖にさしかかった時はどうしても思う方向に船を進めることができず、ついに暗礁に船底をぶっつけてしまいました。破れた船底から水が激しく浸水して、いくら排水してもどうにもなりませんでした。もうこれまで、と一同観念したとき、船底から『親方!親方!船を!船を!』と手を振りながら大声で叫んでいる者がいました。見ると、アホ忠でした。不思議にも水はあれから少しも増していませんでした。船員たちが再び必死になって水をかき出したところ、忠ヤンは船底の穴に自分の太ももをグッと突っ込み、必死にもがきつつ『船を、船を、早く早く陸に上げよ!』と狂おしく叫んでいました。それで船員たちはしゃにむに、船を進めて陸に近づけ、九死に一生を得ましたが、忠一はかわいそうに右大腿部をもぎ取られ、出血多量で上陸するまでに息を引き取ってしまいました。」

升崎牧師は労祷学園でいつも、オランダ堤防の決壊を救ったハンス少年のことを青年たちに教えており、この忠ヤンもよく「俺はハンスだ、ハンスだ」と口ぐせのように言っていましたが、その通りのことを彼はやってのけたのです。人からアホ忠、アホ忠と呼ばれ、自分もまたアホ忠が本名だと思い込んでいた山本忠一。水が噴き込んでくる船底の穴に、布切れや板切れの代わりに自分の体の一部をつめこみ、数名の同僚を救った山本忠一。もし、升崎牧師がかつて彼を受け入れて、愛を示していなければこんなに感動的な話は生まれていたのだろうかと思うのです。

「人がその友のために命を捨てるという、これより大きな愛は誰も持っていません。」
(ヨハネ福音書15:13)