救い主キリストはあなたと生きてくださる神の御子

ヨハネの手紙 第一4章13-15節より

土山みことばキリスト教会

2022年4月24日

聖書(せいしょ)(かみ)さまのことを「(かみ)(あい)です」と(おし)えています。(あい)はひとりで生きることではありません。だから(あい)(かみ)さまは世界(せかい)(つく)られました(創世記(そうせいき)1章)。(かみ)さまは、あなたを(あい)したいために、あなたに(いのち)(あた)えたのです。今、あなたが存在(そんざい)しているのは、あなたが(かみ)さまに(あい)されている証拠(しょうこ)です(イザヤ書43章4節)。

しかし、人間は(かみ)さまを信じないままでいると、(わる)いことを考えたり、(わる)こと)()を使ったり、(わる)い行いをする性質(せいしつ)があります。これを(つみ)と言います(マルコの福音書(ふくいんしょ)7章20-23節)。

(つみ)はあなたと(かみ)さまの関係(かんけい)(こわ)します。しかし、(あい)(かみ)さまは、あなたの(つみ)をそのままにして、あなたが(かみ)さまから(はな)れてひとりでいることを(かな)しまれます。(かみ)さまは、大きな(つみ)も小さな(つみ)もゆるしたいと思っています。それは、(かみ)さまがあなたを(あい)しているからです。

聖書(せいしょ)はすべての人は(つみ)性質(せいしつ)をもって()まると書いています。すべての人は(つみ)をゆるしてもらわなければなりません(コリント人への手紙(てがみ)第二5章20節)。

そのために、(かみ)さまは、ご自分のひとり子であるイエス様を十字架(じゅうじか)につけてくださいました。このイエス様だけが、(かみ)さまの(あい)とゆるしをあなたに(あた)えることができるのです。

あなたが(つみ)から(すく)い出されたいと(こころ)から(ねが)って、このイエス様をあなたの(すく)(ぬし)であることを(しん)じるなら、あなたのすべての(つみ)はゆるされます(ヨハネの手紙(てがみ)第一1章9節)。

これからは、どんな時もイエス様の(あい)(かん)じながら、(かみ)さまを(しん)じて生きていきましょう。

よみがえりのキリストが希望を約束する

ルカの福音書24章44-49節より

土山みことばキリスト教会

2022年4月17日

人間は生まれた瞬間から、死に向かって生きています。いかなる人も死を逃れることはできません。そして死の力は、生きている間も働いています。例えば、人を愛するよりも、無関心でいようとしますし、善を行うよりも、悪いことを考えてしまいますし、人がいる時と、ひとりの時では同じような正しさを行えなかったりしますし、人生の目標や夢に向かってすべきことはわかっていても、ついついさぼったりして思うようにいきません。

死とは病気や事故で死ぬことだけを意味するのではありません。聖書によると死とは罪の結果なのです。罪とは悪い行いや、法律違反をすることだけでなく、そのような結果につながる人の内側の悪い性質、罪深い汚れた思いでもあります。そして罪とは、その原因となる神さまと正しい関係にいない状態を言うのです。

人間の良心が働いて、善と悪の境界線が確かに存在するのです。人間の法律ではあらわせない正しさと間違いの境目があるのです。それは神様の存在が原因なのです。

神様の存在を無視して生きるとき、人間は罪の中に死んでいるのです。神様を信じないとき人は決して正しい歩みはできません。

すべての人は罪人として生まれてきます。それは最初の人アダムが悪魔の誘惑に負けて神に対して罪を犯した結果です。罪により世界に死が入ったのです。

キリストはこの神様との失われた関係を回復するために、人間の罪の身代わりに十字架で死なれました。けれども死からよみがえり、罪の力を無力にして、まことの命を与える希望をすべての人に明らかにしました。

キリストの十字架の死と復活があなたの罪の身代わりであると信じる者は、このキリストの復活の命をいただきます。あなたの古い罪の死の体はキリストの十字架とともに死に、キリストの復活とともに、新しく生まれるのです。この新生は神がキリストを死からよみがえらせた人間の限界を超えた超自然的な神の力によるのです。

この復活の命により、悪習慣、依存、過去のあやまち、恐れ、罪に打ち勝つ力が与えられ、神様との正しい生きた関係を生きることができるのです。それが死によって決して朽ちない永遠のいのちです。

「あなたがたは、バプテスマによってキリストとともに葬られ、また、キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、キリストとともによみがえらされたのです。」(コロサイ人への手紙2章12節)

神は愛なり。この愛にまさるものなし

ヨハネの手紙 第一4章7-12節より

土山みことばキリスト教会

2022年4月10日

この世界で一番重要なキーワードは「愛」です。人は愛を求め、愛に疲れ、愛したいと願っています。愛はすべての人の希望です。もし、世界から愛が絶えてしまえば、人は決して生きることはできません。

「神は愛なり」これは聖書により、神様が人間に示された偉大な真理です。神様の本性、ご性質は愛です。誰かを愛する時、人は神様を知ることができます。愛することによって人は最も神様に似た者となり、神様に近づくことができます。

神様は人間を愛しています。しかし人にはその愛がわかりません。愛を知るにも、冷えた愛の心の回復が必要です。まず最初に神様が人を愛されました。

神のひとり子、キリストが人間の罪の身代わりに十字架で死なれたことによって、神様の愛がすべての人に明らかにされたのです(ローマ5:8)。

この神様の愛を個人的に受け取ることが必要です。

「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」(ガラテヤ2:20)

その時、今まであなたの内になかった愛が生まれます。神様の愛を知るとき、人は家族や友だけでなく、隣人を愛したい気持ちが生まれるのです。感情を超えた神の愛です。

神様の愛は天地創造の時から現されています。神様の愛によって人は創造されました。神様を愛するロボットとしてではなく、自分の自由意志によって神様を愛する存在としてです。神様の愛に似せて人間は造られました。

神様の愛は、契約に基づく永遠に変わることのない愛です。旧い契約(旧約聖書)の神様の愛はヘセドゥ(ヘブル語)の愛に代表され、誠実、真実を尽くす意味です。新しい契約(新訳聖書)はイエス・キリストの十字架で流された血潮によるアガペー(ギリシャ語)の愛です。

神様に逆らい無視し、自分勝手に生きる罪人のために命を捨てる愛です。それを恵み‐価値なき、受けるに値しない者に与える行為‐と言います。

罪を犯した人間の刑罰をそのままにする冷酷なさばき主ではなく、その罪から救い出そうとされる愛の神さまなのです。

キリストの十字架であらわされた愛を受けることによってのみ、人は心に愛の命が与えられ、罪の生き方から離れ、神の愛が回復されます。そして、神様との正しい関係を取り戻し、自分の意思により神様を愛し、積極的に隣人を愛する者に変えられるのです。感情ではなく、言葉、行い、態度、姿勢の愛

「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。
礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、
不正を喜ばずに真理を喜びます。
すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。
愛は決して絶えることがありません。」(Ⅰコリ13:4-8)

今週はキリストが十字架で死なれた受難週です。キリストの愛を深く知り、悔い改め、恵みに感謝を捧げましょう。

偽りから真理へと導くキリスト

ヨハネの手紙 第一4章1-6節より

土山みことばキリスト教会

2022年4月3日

この宇宙や地球は神さまの一部という考えがあります(汎神論と言います)。また神さまはこの世界を造ったあとは、この世界に関わらず、地球が自然の法則で動き続け、生き物はそれぞれが子孫を残しているのだという考えもあります(理神論と言います)。

しかし、聖書によると、この天地万物は神さまが創造され、この世界には神さまと被造物だけが存在します。そして、神さまは今も生きて働かれ、罪をさばかれ、人に語りかけられ、この世界を存続させておられるのです。

真理とは、いくつもあるものではありません。真理はただ一つです。真理とは人間が努力して得ることはできません。この地球のどこを探しても見つけることはできないのです。真理とは神さまの中に存在するのです。

人間の側からは決して、神さまに近づくことはできません。それは人間に罪があるからです。人間が神さまを知ることができるのは、①人間の姿になられたキリスト ②神さまの言葉である聖書 ③聖霊である神さまが人間に働きかけることによってです。

キリストが救い主であると信じることは、この①②③の神さまの恵みによるのです。神さまを信じようとする者に、ご自身を現され、関係が与えられます。

神さまの奥義である真理、それは神のひとり子イエス・キリストが罪なき人間として、あなたの罪の身代わりに十字架で死んで三日目によみがえられたことです(Ⅰコリント2:7-11)。

この福音(キリストの十字架による罪のゆるし)は神さまが人間に与えてくださいましたが、人間は聞きたいことだけを聞くことができます。この罪の世にある者は、福音を聞いても偽りと取り換えてしまいます(ローマ1:25)。このキリストの真理に逆らい、耳をそむけます(Ⅱテモテ3-4)

しかし、神さまはすべての人が救われ、真理を知ることを望んでおられます(Ⅰテモテ2:4)。キリストはすべての人の救い主です。真理だけが人間を罪の生き方から自由にします。

「そこでイエスは、その信じたユダヤ人たちに言われた。「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」(ヨハネ8:31-32)

真理のお方、キリストを思い起こし、守り従うことによってのみ罪に打ち勝ち生きることができます。

「しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。」(ローマ8:37)