神のいのちは死に打ち勝つ

ヨハネの福音書11章17-27節より

土山みことばキリスト教会

2023年8月27日

<聖書>

17 それで、イエスがおいでになってみると、ラザロは墓(はか)の中に入れられて四日もたっていた。
18 ベタニヤはエルサレムに近く、三キロメートルほど離(はな)れた所にあった。
19 大ぜいのユダヤ人がマルタとマリヤのところに来ていた。その兄弟のことについて慰(なぐさ)めるためであった。
20 マルタは、イエスが来られたと聞いて迎(むか)えに行った。マリヤは家ですわっていた。
21 マルタはイエスに向かって言った。「主(しゅ)よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。
22 今でも私は知っております。あなたが神にお求(もと)めになることは何でも、神はあなたにお与えになります。」
23 イエスは彼女に言われた。「あなたの兄弟はよみがえります。」
24 マルタはイエスに言った。「私は、終わりの日のよみがえりの時に、彼がよみがえることを知っております。」
25 イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信(しん)じる者は、死んでも生きるのです。
26 また、生きていてわたしを信(しん)じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信(しん)じますか。」
27 彼女はイエスに言った。「はい。主(しゅ)よ。私は、あなたが世に来られる神の子キリストである、と信(しん)じております。」

(ヨハネの福音書(ふくいんしょ)11章17-27節)

<説教>

<ラザロの死>

イエスにとって、ラザロとその姉妹マルタ、マリヤは家族のようにゆっくりとやすめる故郷(ふるさと)のようでした。その愛するラザロが死んだことは、家族にとって大きな悲(かな)しみでした。
イエスご自身もラザロの死を悲(かな)しみ、家族や付(つ)き添(そ)いの人たちと同じように涙(なみだ)を流されました。
イエスは神でありながら、人としてこの世に遣(つか)わされました。神に泣いたりする感情があるのはおかしいでしょうか。聖書(せいしょ)に書かれる、まことの神は、人間を愛され、悲(かな)しまれたり、喜(よろこ)ばれるお方なのです。

<イエスはラザロをよみがえらせた>

死の悲(かな)しみに暮(く)れる家族の前で、イエスはラザロを死からよみがえらせました。
死の恐怖(きょうふ)におびえる人たちに、神は死に打(う)ち勝(か)つことができることを知ってもらいたかったのです。
イエスは愛する者を死からよみがえらせることがお出来になるのです。愛する者とは、すべての人間です。神はすべての人を愛して、イエスを信じていのちを与(あた)えたいのです。
死んでから4日経(た)ったラザロのよみがえりは、イエスが人間の罪(つみ)のために十字架(じゅうじか)で死なれて、3日目によみがえることの「しるし」です。
神だけが、人類(じんるい)最後(さいご)の敵(てき)である「死」も滅(ほろ)ぼされるお方です。

キリストの支配(しはい)は、すべての敵(てき)をその足の下に置(お)くまで、と定(さだ)められているからです。最後の敵(てき)である死も滅(ほろ)ぼされます。

(Ⅰコリント15:25-26)

<イエスはなぜよみがえったのか> 

1.人間を死の支配(しはい)から解放(かいほう)するため

すべての人間にとって死は不気味(ぶきみ)で避(さ)けることのできない災(わざわ)いです。人間はこの死を取(と)り去(さ)ろうと努力してきました。医療(いりょう)で痛(いた)みを取(と)り除(のぞ)いたり、不気味(ぶきみ)な墓地(ぼち)のイメージを○○○メモリアルという名前で明るく、楽しい雰囲気(ふんいき)にしたりします。
しかし、それは死の恐(おそ)ろしさの裏返しです。いくら目をそらしても死が恐(おそ)ろしい証拠(しょうこ)です。死は人間から希望(きぼう)を取(と)り去(さ)り、人生に大きな影(かげ)を投(な)げかけ、そのため人間は正しく、きよく、愛をもって生きることができません。どうせ、死んだら終わりだと考えて、欲望(よくぼう)のまま生きてしまうのです。
イエスはよみがえりであり、いのちです。神だけが人間を死から解放(かいほう)して、いのちを与(あた)えることができるのです。イエスは死んで、よみがえりました。それは決して死ぬことはない、神のいのちです。

そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔(あくま)という、死の力を持つ者を滅(ほろ)ぼし、一(いっ)生涯(しょうがい)死の恐怖(きょうふ)につながれて奴隷(どれい)となっていた人々を解放(かいほう)してくださるためでした。

(へブル人への手紙2:14-15)

2. 古(ふる)い人、罪(つみ)の性質(せいしつ)が死んで、神のいのちを受(う)けて新しく生まれるため

イエスを信じる者は、十字架(じゅうじか)で死なれたイエスとともに、古(ふる)い人も死に、よみがえられたイエスとともに、永遠(えいえん)のいのちを与(あた)えられて新しく生まれ変わることができるのです。
イエスの死は、私たち人間の死とは違(ちが)います。人間の罪(つみ)の身代(みが)わりに死なれたのです。これは人間にはできません。

だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造(つく)られた者です。古(ふる)いものは過(す)ぎ去(さ)って、見よ、すべてが新しくなりました。

(Ⅱコリント5:17)

 3.日々、罪(つみ)に打ち勝って生きる力が与(あた)えられるため

罪(つみ)に対して弱く、罪(つみ)の奴隷(どれい)であった私たちが、イエスの復活(ふっかつ)のいのちが私たちの内で働(はたら)かれて、罪(つみ)に打ち勝つ力によって日々歩めるようになります。

私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬(ほうむ)られたのです。それは、キリストが御父(おちち)の栄光(えいこう)によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。

(ローマ6:4)

すべての人間にはやがて肉体(にくたい)の死を迎(むか)えます。しかし、すべての人間は神に背(せ)を向けて生きた罪(つみ)によって刑罰(けいばつ)の死があるのです(永遠(えいえん)の死、第二の死)。これは永遠(えいえん)の滅(ほろ)びであり、愛の神から永遠(えいえん)に離(はな)れてしまう恐(おそ)ろしい永遠(えいえん)の孤独(こどく)です。
イエスを信じるなら、この永遠(えいえん)の滅(ほろ)びの死から救(すく)い出されます。イエスを信じる者の肉体(にくたい)の死は、永遠(えいえん)のいのちが始まるための、一瞬(いっしゅん)に過(す)ぎ去(さ)る入口に過(す)ぎません。

どんなに生きることが苦(くる)しくても、死は救(すく)いではありません。イエスを信じることだけが救(すく)いの道です。

苦しみから与えられる慰め

コリント人への手紙第二1章4-10節より

土山みことばキリスト教会

2023年8月20日

<聖書>

4 神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰(なぐさ)めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰(なぐさ)めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰(なぐさ)めることができるのです。
5 それは、私たちにキリストの苦難(くなん)があふれているように、慰(なぐさ)めもまたキリストによってあふれているからです。
6 もし私たちが苦しみに会うなら、それはあなたがたの慰(なぐさ)めと救いのためです。もし私たちが慰(なぐさ)めを受けるなら、それもあなたがたの慰(なぐさ)めのためで、その慰(なぐさ)めは、私たちが受けている苦難(くなん)と同じ苦難(くなん)に耐(た)え抜(ぬ)く力をあなたがたに与えるのです。
7 私たちがあなたがたについて抱いている望(のぞ)みは、動くことがありません。なぜなら、あなたがたが私たちと苦しみをともにしているように、慰(なぐさ)めをもともにしていることを、私たちは知っているからです。
8 兄弟たちよ。私たちがアジヤで会った苦しみについて、ぜひ知っておいてください。私たちは、非常に激(はげ)しい、耐(た)えられないほどの圧迫(あっぱく)を受け、ついにいのちさえも危(あやう)くなり、
9 ほんとうに、自分の心の中で死を覚悟(かくご)しました。これは、もはや自分自身を頼(たの)まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼(たの)む者となるためでした。
10 ところが神は、これほどの大きな死の危険から、私たちを救い出してくださいました。また将来も救い出してくださいます。なおも救い出してくださるという望(のぞ)みを、私たちはこの神に置いているのです。

(コリント人への手紙第二1章4-10節)

<説教>

キリストを信じる前のパウロは、自分自身により頼(たの)み、キリスト者たちを迫害(はくがい)して苦しめて暴力(ぼうりょく)をふるう者でした。パウロは神を信じていても、現実は自分の力を誇(ほこ)って生きていたのです。現実の生活では神に従っていなかったのです。
罪(つみ)とは神から離(はな)れて、自分に頼(たよ)って生きる状態です。人生が自分のためにあると思うことです。そこから現実にあらわれる罪深(つみぶか)い言動(げんどう)によって、私たちは苦しみ、それは解決することなく、滅(ほろ)びへと向かいます。たとえ自分で苦しみを解決しても、自分の力を誇(ほこ)り、高ぶるようになることも多くあります。
しかし、神を信じる者の苦しみは、キリストがお受けになった苦しみを共にすることです。みことばに従って、愛に生きる者の苦しみです。苦しみによって自分の弱さを教えられます。
神はその苦しむ者を慰(なぐさ)め、ますます神をより頼(たの)む者へと造(つく)り変えて、キリストに似(に)た者へと内から変えてくださいます。
そして、苦しみの中にあるパウロは、苦しみの中にある教会の人々を慰(なぐさ)め、ともに成長する家族のように生きていきます。苦しみも慰(なぐさ)めもキリストにあって一つなのです。以前のキリストを迫害していたパウロもまた、兄弟(きょうだい)姉妹(しまい)たちの慰(なぐさ)めと愛によって、キリスト者として迎(むか)え入(い)れられたのです。
パウロは自分の意思によって使徒になったのではなく、神の御心(みこころ)によって使徒になったという確信がありました。これが、どんな苦境(くきょう)、困難(こんなん)に出会っても、めげることのない理由だったのです。

私たちの大祭司(だいさいし)は、私たちの弱さに同情(どうじょう)できない方ではありません。罪(つみ)は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試(こころ)みに会われたのです。                                                             

(ヘブル人への手紙4:15)

キリストの十字架(じゅうじか)を信じて、罪(つみ)の赦(ゆる)しを与えられた者の特徴(とくちょう)は、素直(すなお)さ、謙虚(けんきょ)さです。
表面的な良い人ではありません。キリストを愛して生きようとする時、自分をごまかしたり、いかなる言い訳もむなしく感じられるのです。キリストは私たちの心の中を気付かせてくださいます。そして、愛することだけが、神を信じて従(したが)うことだと教えてくださいます。
そのように生きようとする時、私たちはキリストの苦しみを共にするのです。
苦しみを経験した者は、他の誰かが受けた同じ苦しみを理解することができます。苦しみを経験した者は慰(なぐさ)めることができるのです。
キリストは父なる神様に従(したが)われ、罪(つみ)の身代(みが)わりに十字架(じゅうじか)に架かられました。罪(つみ)を犯すこと以外は、すべての人間の受ける苦しみを経験されました。
このキリストは、あなたの苦しみを経験され、あなたを理解して慰(なぐさ)めてくださる方です。そして、その苦しみを通して、愛とまことの人にあなたを変えてくださります。喜びと平安、人を愛する価値ある人生を与えてくださいます。
パウロは言います。

神のみこころによるキリスト・イエスの使徒(しと)パウロ、および兄弟テモテから、コリントにある神の教会、ならびにアカヤ全土にいるすべての聖徒(せいと)たちへ。                             (Ⅱコリント1:1)

キリストを信じて生きるあなたは、神の教会の、使徒(しと)、聖徒(せいと)なのです。いつも神はあなたと共におられます。

十字架の祈り

ルカの福音書23章32-46節より

土山みことばキリスト教会

2023年8月6日

<聖書>

32 ほかにもふたりの犯罪人(はんざいにん)が、イエスとともに死刑(しけい)にされるために、引かれて行った。
33 「どくろ」と呼(よ)ばれている所に来ると、そこで彼らは、イエスと犯罪人(はんざいにん)とを十字架(じゅうじか)につけた。犯罪人(はんざいにん)のひとりは右に、ひとりは左に。
34 そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦(ゆる)しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。
35 民衆(みんしゅう)はそばに立ってながめていた。指導者(しどうしゃ)たちもあざ笑(わら)って言った。「あれは他人を救(すく)った。もし、神のキリストで、選ばれた者なら、自分を救(すく)ってみろ。」
36 兵士(へいし)たちもイエスをあざけり、そばに寄(よ)って来(き)て、酸(す)いぶどう酒(しゅ)を差(さ)し出(だ)し、
37 「ユダヤ人の王なら、自分を救(すく)え」と言った。
38 「これはユダヤ人の王」と書いた札(ふだ)もイエスの頭上(ずじょう)に掲(かか)げてあった。
39 十字架(じゅうじか)にかけられていた犯罪人(はんざいにん)のひとりはイエスに悪口(あっこう)を言い、「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救(すく)え」と言った。
40 ところが、もうひとりのほうが答(こた)えて、彼をたしなめて言った。「おまえは神(かみ)をも恐(おそ)れないのか。おまえも同じ刑罰(けいばつ)を受けているではないか。
41 われわれは、自分のしたことの報(むく)いを受(う)けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」
42 そして言った。「イエスさま。あなたの御国(みくに)の位(くらい)にお着(つ)きになるときには、私を思い出してください。」
43 イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告(つ)げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」
44 そのときすでに十二時ごろになっていたが、全地(ぜんち)が暗(くら)くなって、三時まで続いた。
45 太陽は光を失(うしな)っていた。また、神殿(しんでん)の幕(まく)は真(ま)っ二(ぷた)つに裂(さ)けた。
46 イエスは大声で叫(さけ)んで、言われた。「父よ。わが霊(れい)を御手(みて)にゆだねます。」こう言って、息を引き取られた。

(ルカの福音書23章32-46節)

<説教>

「どくろ」と呼(よ)ばれている所に来ると、そこで彼らは、イエスと犯罪人(はんざいにん)とを十字架(じゅうじか)につけた。犯罪人(はんざいにん)のひとりは右に、ひとりは左に。

(ルカの福音書23:33)

イエスの死が極悪(ごくあく)な犯罪人(はんざいにん)の刑罰(けいばつ)である印象(いんしょう)を人々に持たせようとしました。イエスは悪人として処刑(しょけい)されました。イエスの着物は脱(ぬ)がされ、着物はローマ兵がくじで分け合いました。
あざけり、からかい、憎(にく)しみとねたみに満ちた人々…
イエスを殺害(さつがい)しようとしたユダヤ宗教家(しゅうきょういえ)は、十字架(じゅうじか)に付けられたイエスを目の前に、自分たちの勝利(しょうり)を確信(かくしん)しました。

「父よ。彼らをお赦(ゆる)しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」

(ルカの福音書23:34)

そんな彼らにイエスは祈られました。
イエス様の十字架(じゅうじか)の受難(じゅなん)は、ルカの福音書の中で、旧約(きゅうやく)聖書(せいしょ)が多く引用(いんよう)されています(詩篇22、詩篇69)。
どれだけ知恵(ちえ)をこらして、策略(さくりゃく)を建てて、イエスを十字架(じゅうじか)で葬(ほうむ)り去(さ)ろうとしても、神さまはすべてご存知(ぞんじ)で、はるか昔に聖書ではっきり預言(よげん)していたのです。
そんな人間の愚(おろ)かさ、罪深(つみぶか)さ、神から離(はな)れて滅(ほろ)びへ向かう姿に、イエスは彼らの、いえ人間すべてに対して父なる神さまに赦(ゆる)しを乞(こ)うて祈ったのです。
すべての人のために、今もイエス様は罪(つみ)の赦(ゆる)しを祈っておられます。
十字架(じゅうじか)の上の左右の犯罪人(はんざいにん)の一人は、神を恐(おそ)れず、自分の罪深(つみぶか)さがわからず、自分がわかりません。ただ今の状況からの救(すく)いだけを願います。彼が信じるのは自分の心だけです。
しかし、もう一人の犯罪人(はんざいにん)は、自分の罪深(つみぶか)さを知り、悔(く)い改(あらた)めて、神を恐(おそ)れ、今の救(すく)いだけでなく、永遠の救(すく)いを祈ったのです。
彼は間もなく死を迎(むか)えるでしょう。しかし、たとえ死の間際(まぎわ)でも遅(おそ)くはないのです。イエス様の十字架(じゅうじか)は私の罪(つみ)の身代(みが)わりであると信じて、悔(く)い改(あらた)めて、罪(つみ)に背を向けて、神さまに心を向けて生きようとする者を神は「きょう」救(すく)ってくださいます。

「イエスさま。あなたの御国(みくに)の位(くらい)にお着(つ)きになるときには、私を思い出してください。」                                                

    (ルカの福音書23:42)

彼の祈りは正直でした。自分のことを覚(おぼ)えていてください。私を忘(わす)れないでくださいでした。私は愛されているのでしょうか?私は何のために生まれたのでしょうか?私の人生これでよかったのですか?
すべての人間には罪(つみ)があり、神さまとの関係を失いました。この不安と恐(おそ)れが人生を支配(しはい)しています。
競争きょうそう)に勝っても、欲しいものを手に入れても、どんなに頑張(がんば)っても、その不安と恐(おそ)れは消えません。
その解決(かいけつ)のためには、失われた神さまとの関係を回復(かいふく)、和解(わかい)するしかありません。
この犯罪人(はんざいにん)は、自分が受けている十字架(じゅうじか)刑の耐(た)え難(がた)い苦しみ痛(いた)みを、静かに受けられ、自分を苦しめる人々のために静かに祈られるイエスを神さまであると信じました。自分の十字架(じゅうじか)の刑罰(けいばつ)をイエス様は代わりに受けてくださっているとわかったのです。
そして、惨(みじ)めな十字架(じゅうじか)刑で人生を終わろうとする自分の罪深(つみぶか)さを悔(く)い改(あらた)めて、イエス様を受け入れたのです。
その瞬間(しゅんかん)、イエス様が彼と共におられ、神さまとの関係が回復(かいふく)しました。彼の絶望(ぜつぼう)、後悔(こうかい)、すべての罪(つみ)は赦(ゆる)され、彼の心は開かれ、恐(おそ)れは祈りとなりました。
イエス様はあなたを決して忘(わす)れることはありません。あなたがすべての人間の敵(てき)だとしても、すべての人があなたを忘(わす)れたとしても。
イエス様はあなたを愛されています。十字架(じゅうじか)の上であなたの罪(つみ)の赦(ゆる)しを祈って、それを成(な)し遂(と)げてくださいました。

そして自分から十字架(じゅうじか)の上で、私たちの罪(つみ)をその身(み)に負(お)われました。それは、私たちが罪(つみ)を離(はな)れ、義(ぎ)のために生きるためです。キリストの打(う)ち傷(きず)のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者(ぼくしゃ)であり監督者(かんとくしゃ)である方のもとに帰ったのです。

(Ⅰペテロ2:24-25)

悪魔の力に打ち勝つ

マルコの福音書5章1-20節より

土山みことばキリスト教会

2023年7月30日

<聖書>

1 こうして彼らは湖の向こう岸、ゲラサ人の地に着いた。
2 イエスが舟から上がられると、すぐに、汚(けが)れた霊(れい)につかれた人が墓場(はかば)から出て来て、イエスを迎(むか)えた。
3 この人は墓場(はかば)に住みついており、もはやだれも、鎖(くさり)をもってしても、彼をつないでおくことができなかった。
4 彼はたびたび足かせや鎖(くさり)でつながれたが、鎖(くさり)を引きちぎり、足かせも砕(くだ)いてしまったからで、だれにも彼を押さえるだけの力がなかったのである。
5 それで彼は、夜昼となく、墓場(はかば)や山で叫(さけ)び続け、石で自分のからだを傷つけていた。
6 彼はイエスを遠くから見つけ、駆(か)け寄(よ)って来てイエスを拝(はい)し、
7 大声で叫(さけ)んで言った。「いと高き神の子、イエスさま。いったい私に何をしようというのですか。神の御名(みな)によってお願いします。どうか私を苦しめないでください。」
8 それは、イエスが、「汚(けが)れた霊(れい)よ。この人から出て行け」と言われたからである。
9 それで、「おまえの名は何か」とお尋ねになると、「私の名はレギオンです。私たちは大ぜいですから」と言った。
10 そして、自分たちをこの地方から追い出さないでくださいと懇願(こんがん)した。
11 ところで、そこの山腹に、豚(ぶた)の大群(たいぐん)が飼(か)ってあった。
12 彼らはイエスに願って言った。「私たちを豚(ぶた)の中に送って、彼らに乗(の)り移(うつ)らせてください。」
13 イエスがそれを許(ゆる)されたので、汚(けが)れた霊(れい)どもは出て行って、豚(ぶた)に乗(の)り移(うつ)った。すると、二千匹ほどの豚(ぶた)の群れが、険(けわ)しいがけを駆(か)け降り、湖へなだれ落ちて、湖におぼれてしまった。
14 豚(ぶた)を飼(か)っていた者たちは逃げ出して、町や村々でこの事を告げ知らせた。人々は何事が起こったのかと見にやって来た。
15 そして、イエスのところに来て、悪霊(あくれい)につかれていた人、すなわちレギオンを宿していた人が、着物を着て、正気に返ってすわっているのを見て、恐ろしくなった。
16 見ていた人たちが、悪霊(あくれい)につかれていた人に起こったことや、豚(ぶた)のことを、つぶさに彼らに話して聞かせた。
17 すると、彼らはイエスに、この地方から離(はな)れてくださるよう願った。
18 それでイエスが舟に乗(の)ろうとされると、悪霊(あくれい)につかれていた人が、お供(とも)をしたいとイエスに願った。
19 しかし、お許(ゆる)しにならないで、彼にこう言われた。「あなたの家、あなたの家族のところに帰り、主(しゅ)があなたに、どんなに大きなことをしてくださったか、どんなにあわれんでくださったかを、知らせなさい。」
20 そこで、彼は立ち去り、イエスが自分にどんなに大きなことをしてくださったかを、デカポリスの地方で言い広め始めた。人々はみな驚(おどろ)いた。

(マルコの福音書5章1-20節)

<説教>

湖の向こう岸はゲラサ人の地でした。まことの神さまから離(はな)れた異邦人(いほうじん)の世界です。
そこに汚(けが)れた霊(れい)に取りつかれた男が次のような姿でいました。

① 家に住まないで墓場(はかば)に住んでいた。
(人から離(はな)れて社会性を失っている状態でした)
②    何度も鎖(くさり)と足かせでつながれたが、鎖(くさり)を引きちぎり足かせを砕(くだ)いていた。
(非常に狂暴(きょうぼう)な姿でした。誰も彼を押さえつけることはできませんでした)
③    夜も昼もずっと墓場(はかば)や山で叫(さけ)び続けていた。
(彼の魂(たましい)は助けを求(もと)めていました)
④    石で自分のからだを傷(きず)つけていた。
(自分の価値(かち)を忘(わす)れて、自分を健全(けんぜん)に愛せずにいました)
⑤    長い間、着物も着ず裸でした。
(理性(りせい)、人間性を失(うしな)っている状態でした)
彼は自分の中に悪霊(あくれい)が働いていることを知っていました。レギオンという名前の悪霊(あくれい)は、ローマ軍の6千人で編成(へんせい)される軍団(ぐんだん)のように多数で強い力で男を縛(しば)ってしました。誰も彼を助け出すことはできませんでした。彼も自分の力ではこの悪霊(あくれい)をどうすることもできませんでした。それはユダヤが圧倒的(あっとうてき)な力でローマに支配されて、ローマの軍隊が、悪事(あくじ)を働き、人々を苦しめている状態でした。
イエス様が舟から上がってきたのを見た時、男はイエス様を迎(むか)えにいきます。どんなに悪霊(あくれい)の力が強くても、まことの神(かみ)さまの力を信じることが大切です。イエス様がこの地上に来られたのは、悪魔(あくま)を打倒すためなのです。

神(かみ)の子が現れたのは、悪魔(あくま)のしわざを打ちこわすためです。(Ⅰヨハネ3:8)

イエス様を信じる者は、いたずらに悪魔(あくま)を恐(おそ)れることはありません。しかし、悪魔(あくま)の力を侮(あなど)ってはいけません。確(たし)かに罪(つみ)を犯(おか)させようとする力は存在(そんざい)するのです。キリスト者生活を最後までやり遂(と)げることは、悪魔(あくま)との戦いでもあると言えるからです。
悪霊(あくれい)たちは神(かみ)の子イエス様に自分たちを追い出さないでくださいと願いました。堕落(だらく)した道徳の乱(みだ)れたこの世界は悪霊(あくれい)にとって住みよい環境(かんきょう)なのです。聖書は、毎日が邪悪(じゃあく)な日であり、今は悪い時代だと言います。
悪霊(あくれい)はサタン(悪魔(あくま))の手下(てした)で、この世で大勢(おおぜ)い活動しています。人や動物に入り、神(かみ)の働きや、計画を妨(さまた)げようとします。サタンは、24時間365日ずっと、破滅(はめつ)させることができる人々を探(さが)して歩き回っています。

身(み)を慎(つつし)み、目をさましていなさい。あなたがたの敵(てき)である悪魔(あくま)が、ほえたける獅子(しし)のように、食(く)い尽(つ)くすべきものを捜(さが)し求(もと)めながら、歩き回っています。

(Ⅰペテロ5:7)

この御言葉(みことば)の記者ペテロにとって、「目をさましていなさい」は忘(わす)れることのできないイエス様のことばです。悪魔(あくま)がペテロを征服(せいふく)して、イエス様を拒(こば)ませたことを忘(わす)れませんでした。
悪魔(あくま)は吠(ほ)えたけるライオンのような凶暴性(きょうぼうせい)と破壊性(はかいせい)によって、イエス様を信じる信仰(しんこう)を失(うしな)わせようとします。
しかし、イエス様によって信仰(しんこう)を守られたペテロは初代(しょだい)教会(きょうかい)で力強くイエス様を証(あかし)する者に変えられます。彼は確(かく)信(しん)して言います。

堅(かた)く信仰(しんこう)に立って、この悪魔(あくま)に立ち向かいなさい。ご承知(しょうち)のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。

(Ⅰペテロ5:8)

イエス様の神(かみ)の権威(けんい)あるみことばによって、このゲラサ人の男に取りついた汚(けが)れた霊(れい)は追い出されました。彼は正気(しょうき)に返り、家に帰り、着物を着て、神(かみ)の救いを言い広め始めます。それはゲラサ人の地、デカポリス、ギリシャの植民地(しょくみんち)、異邦人(いほうじん)の地でキリストの救いのみわざはこの男性から広がっていくのです。

問 人の主な目的(もくてき)はなんであるか?
答 人の主な目的(もくてき)は神(かみ)の栄光(えいこう)をあらわし、神(かみ)を永遠(えいえん)に喜ぶことである。

ウエストミンスター小教理問答の第一問目
(プロテスタンキリスト教会の信仰(しんこう)基準(きじゅん))