ルカの福音書23章32-46節より
2023年8月6日
<聖書>
32 ほかにもふたりの犯罪人が、イエスとともに死刑にされるために、引かれて行った。
33 「どくろ」と呼ばれている所に来ると、そこで彼らは、イエスと犯罪人とを十字架につけた。犯罪人のひとりは右に、ひとりは左に。
34 そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。
35 民衆はそばに立ってながめていた。指導者たちもあざ笑って言った。「あれは他人を救った。もし、神のキリストで、選ばれた者なら、自分を救ってみろ。」
36 兵士たちもイエスをあざけり、そばに寄って来て、酸いぶどう酒を差し出し、
37 「ユダヤ人の王なら、自分を救え」と言った。
38 「これはユダヤ人の王」と書いた札もイエスの頭上に掲げてあった。
39 十字架にかけられていた犯罪人のひとりはイエスに悪口を言い、「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え」と言った。
40 ところが、もうひとりのほうが答えて、彼をたしなめて言った。「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。
41 われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」
42 そして言った。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」
43 イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」
44 そのときすでに十二時ごろになっていたが、全地が暗くなって、三時まで続いた。
45 太陽は光を失っていた。また、神殿の幕は真っ二つに裂けた。
46 イエスは大声で叫んで、言われた。「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」こう言って、息を引き取られた。
(ルカの福音書23章32-46節)
<説教>
「どくろ」と呼ばれている所に来ると、そこで彼らは、イエスと犯罪人とを十字架につけた。犯罪人のひとりは右に、ひとりは左に。
(ルカの福音書23:33)
イエスの死が極悪な犯罪人の刑罰である印象を人々に持たせようとしました。イエスは悪人として処刑されました。イエスの着物は脱がされ、着物はローマ兵がくじで分け合いました。
あざけり、からかい、憎しみとねたみに満ちた人々…
イエスを殺害しようとしたユダヤ宗教家は、十字架に付けられたイエスを目の前に、自分たちの勝利を確信しました。
「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」
(ルカの福音書23:34)
そんな彼らにイエスは祈られました。
イエス様の十字架の受難は、ルカの福音書の中で、旧約聖書が多く引用されています(詩篇22、詩篇69)。
どれだけ知恵をこらして、策略を建てて、イエスを十字架で葬り去ろうとしても、神さまはすべてご存知で、はるか昔に聖書ではっきり預言していたのです。
そんな人間の愚かさ、罪深さ、神から離れて滅びへ向かう姿に、イエスは彼らの、いえ人間すべてに対して父なる神さまに赦しを乞うて祈ったのです。
すべての人のために、今もイエス様は罪の赦しを祈っておられます。
十字架の上の左右の犯罪人の一人は、神を恐れず、自分の罪深さがわからず、自分がわかりません。ただ今の状況からの救いだけを願います。彼が信じるのは自分の心だけです。
しかし、もう一人の犯罪人は、自分の罪深さを知り、悔い改めて、神を恐れ、今の救いだけでなく、永遠の救いを祈ったのです。
彼は間もなく死を迎えるでしょう。しかし、たとえ死の間際でも遅くはないのです。イエス様の十字架は私の罪の身代わりであると信じて、悔い改めて、罪に背を向けて、神さまに心を向けて生きようとする者を神は「きょう」救ってくださいます。
「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」
(ルカの福音書23:42)
彼の祈りは正直でした。自分のことを覚えていてください。私を忘れないでくださいでした。私は愛されているのでしょうか?私は何のために生まれたのでしょうか?私の人生これでよかったのですか?
すべての人間には罪があり、神さまとの関係を失いました。この不安と恐れが人生を支配しています。
競争に勝っても、欲しいものを手に入れても、どんなに頑張っても、その不安と恐れは消えません。
その解決のためには、失われた神さまとの関係を回復、和解するしかありません。
この犯罪人は、自分が受けている十字架刑の耐え難い苦しみ痛みを、静かに受けられ、自分を苦しめる人々のために静かに祈られるイエスを神さまであると信じました。自分の十字架の刑罰をイエス様は代わりに受けてくださっているとわかったのです。
そして、惨めな十字架刑で人生を終わろうとする自分の罪深さを悔い改めて、イエス様を受け入れたのです。
その瞬間、イエス様が彼と共におられ、神さまとの関係が回復しました。彼の絶望、後悔、すべての罪は赦され、彼の心は開かれ、恐れは祈りとなりました。
イエス様はあなたを決して忘れることはありません。あなたがすべての人間の敵だとしても、すべての人があなたを忘れたとしても。
イエス様はあなたを愛されています。十字架の上であなたの罪の赦しを祈って、それを成し遂げてくださいました。
そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。
(Ⅰペテロ2:24-25)