良い忠実なしもべと悪いなまけ者のしもべ

マタイの福音書25章14節-30節より

土山みことばキリスト教会

2023年12月17日

<聖書>

天の御国(みくに)は、しもべたちを()んで、自分の財産(ざいさん)(あず)け、旅に出て行く人のようです。
彼は、おのおのその能力(のうりょく)(おう)じて、ひとりには五タラント、ひとりには二タラント、もうひとりには一タラントを(わた)し、それから旅に出かけた。
五タラント(あず)かった者は、すぐに行って、それで商売をして、さらに五タラントもうけた。
同様に、二タラント(あず)かった者も、さらに二タラントもうけた。
ところが、一タラント(あず)かった者は、出て行くと、地を()って、その主人の金を(かく)した。
さて、よほどたってから、しもべたちの主人が帰って来て、彼らと清算(せいさん)をした。
すると、五タラント(あず)かった者が来て、もう五タラント()()して言った。『ご主人さま。私に五タラント(あず)けてくださいましたが、ご(らん)ください。私はさらに五タラントもうけました。』
その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実(ちゅうじつ)なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実(ちゅうじつ)だったから、私はあなたにたくさんの物を(まか)せよう。主人の(よろこ)びをともに(よろこ)んでくれ。』
二タラントの者も来て言った。『ご主人さま。私は二タラント(あず)かりましたが、ご(らん)ください。さらに二タラントもうけました。』
その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実(ちゅうじつ)なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実(ちゅうじつ)だったから、私はあなたにたくさんの物を(まか)せよう。主人の(よろこ)びをともに(よろこ)んでくれ。』
ところが、一タラント(あず)かっていた者も来て、言った。『ご主人さま。あなたは、()かない所から()()り、()らさない所から集めるひどい方だとわかっていました。
私はこわくなり、出て行って、あなたの一タラントを地の中に(かく)しておきました。さあどうぞ、これがあなたの物です。』
ところが、主人は彼に答えて言った。『悪いなまけ者のしもべだ。私が()かない所から()()り、()らさない所から集めることを知っていたというのか。
だったら、おまえはその私の金を、銀行に(あず)けておくべきだった。そうすれば私は帰って来たときに、利息(りそく)がついて返してもらえたのだ。
だから、そのタラントを彼から()()げて、それを十タラント持っている者にやりなさい。』
だれでも持っている者は、(あた)えられて(ゆた)かになり、持たない者は、持っているものまでも()()げられるのです。
役に立たぬしもべは、外の暗やみに()()しなさい。そこで泣いて歯ぎしりするのです。

(マタイの福音書25章14節-30節)

<説教>

マタイの福音書(ふくいんしょ)24、25章は終末(しゅうまつ)に関するイエス様の教えです。

24章1-44節は、エルサレムの滅亡(めつぼう)終末(しゅうまつ)前兆(ぜんちょう)、イエス様の再臨(さいりん)(世の終わりにイエス様がこの世に来られること)です。24章45節から25章は、イエス様の再臨(さいりん)に、どのように(そな)えるかの3つのたとえです。

イエス様を信じる者は、神さまから必ず何らかの賜物(たまもの)が与えられています。

ひ とりひとりにふさわしい神さまによって定められた賜物(たまもの)です。ある人は5タラント、ある人は2タラント、別の人は1タラントといった具合(ぐあい)にです。

1タラントは労働者(ろうどうしゃ)の6000日分の給料です。1タラントの賜物(たまもの)と言っても、決して小さなものではありません。

イエス様がもう一度この世に来られる再臨(さいりん)は、いつかは誰にもわかりません。しかし、再臨(さいりん)までのときは無意味ではなく、それぞれが、任された与えられた賜物(たまもの)を、活用して生かす時なのです。

しかし、1タラント(あず)かった者は、それを活用して、失敗(しっぱい)することを(おそ)れて、使わずに(かく)していまいます。あるいは自分に与えられた賜物をちっぽけなものと考えたのかも知れません。

やがて私たちは、終わりの日に清算(せいさん)のときを迎えます。大切なのは、いくら(もう)けたかではなく、それを実際(じっさい)に活用したかどうかが問われる清算(せいさん)です。

このたとえの中心は、私たちが、「忠実(ちゅうじつ)」であったかどうかです。与えられた賜物(たまもの)を神さまのために活用したかどうかです。そして、忠実(ちゅうじつ)賜物(たまもの)を用いた者は、天の御国(おんくに)での賜物(たまもの)を任されるのです。それはこの世では大きな富である5タラントのお金とは比べられない、莫大(ばくだい)な神の資産(しさん)です。

小さい事に忠実(ちゅうじつ)な人は、大きい事にも忠実(ちゅうじつ)であり、小さい事に()忠実(ちゅうじつ)な人は、大きい事にも()忠実(ちゅうじつ)です。

(ルカ16:10

このたとえは、良い忠実(ちゅうじつ)なしもべと、悪いなまけ者のしもべとして比べられています。

良いしもべは、神さまが喜ばれることを、自分の喜びとして、忠実(ちゅうじつ)に仕えた者です。それに対して、悪いなまけ者のしもべとは、自分が神様のしもべであることを不平に思って、神さまに対して間違った考えをして、神さまに(したが)えないことを言い訳するしもべです。

あなたは、わずかな物に忠実(ちゅうじつ)だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。

(マタイ25:21

これが、人間が神様に造られた目的です。神さまは、私たちが神様とともに喜んで生きるために、命を与えてくださったのです。人間は、神さまが与えてくださる恵みと愛を受けて感謝して、神さまに(ささ)げ、(したが)うとき、一番幸せなのです。

だれでも持っている者は、与えられて豊かになり、持たない者は、持っているものまでも取り上げられるのです。

(マタイ25:29

これは、不変(ふへん)法則(ほうそく)真理(しんり)です。

与えられた(賜物(たまもの)能力(のうりょく)は、使わないと、失われてしまうのです。どんな素晴らしい道具も使わないと(さび)ついてしまうのです。しかし、能力、才能は使うならば、どんどん磨かれてさらに用いられていきます。

神さまがあなたに与えてくださった素晴らしい賜物(たまもの)は、誰かと比べることではありません。それを、自分のためだけでなく、神さまのために、誰かのために、喜んで活用しましょう。それは、何よりも必ず、あなたの喜びとなります。