箴言3章1-18節より
2024年1月7日
<聖書>
自分を知恵のある者と思うな。【主】を恐れて、悪から離れよ。それはあなたのからだを健康にし、あなたの骨に元気をつける。あなたの財産とすべての収穫の初物で、【主】をあがめよ。そうすれば、あなたの倉は豊かに満たされ、あなたの酒ぶねは新しいぶどう酒であふれる。わが子よ。【主】の懲らしめをないがしろにするな。その叱責をいとうな。父がかわいがる子をしかるように、【主】は愛する者をしかる。幸いなことよ。知恵を見いだす人、英知をいただく人は。それの儲けは銀の儲けにまさり、その収穫は黄金にまさるからだ。知恵は真珠よりも尊く、あなたの望むどんなものも、これとは比べられない。その右の手には長寿があり、その左の手には富と誉れがある。その道は楽しい道であり、その通り道はみな平安である。知恵は、これを堅く握る者にはいのちの木である。これをつかんでいる者は幸いである。
(箴言3章1-18節)
<説教>
箴言は、古今東西、最大の知者ソロモンによって書かれました。いろいろな国でも箴言のように、ことわざを集めた実生活の知恵や人生の教訓は存在します。しかし、箴言は神を恐れ、神を礼拝する者が、神のおしえに従って、どのように日常生活を歩むかという訓練の書です。
箴言を読むときのひとつの参考を以下にご紹介します。
【知恵】
生活の知恵という意味ではなく、神との関係から教えられることで、神を恐れることが知恵の始まりです。
【愚かな者】
知恵のある者の反対として愚かなもの、なまけ者のことが書かれています。働き者の蟻から学びなさいと言われます。
【友】
箴言では友、隣人についてもよく出てきます。友とは、どんな時にも愛するものである。自分に敵対するような人に対しても、よき隣人として振る舞いなさいと書かれています。
本当の友を得るようにとの教えや、本当の友の果たす役割などについての教えもあります。
【ことば】
ことばを正しく使うことの重要さも教えています。最上のことばは、正しい者の心から発するのだと、深く心の問題をあらわしています。
イエス様は、人は心にあることをことばにすると言われます。
【おしえ】
子どもについておしえが大切であることも書いています。正しい道への方向を教え、正しいいのちの道を自分で選ぶことができるように導くのがおしえです。
しかし、箴言全体についても言えることですが、どんなによい教育、訓練であっても、知恵を教え込むことはできないということです。それらは、知恵を求める道を選ぶようにと心を向けさせるものに過ぎません。
わたしの叱責に心を留めるなら、今すぐ、あなたがたにわたしの霊を注ぎ、あなたがたにわたしのことばを知らせよう。
(箴言1:23)
【いのちの木】
神を恐れ、悪から離れ、神との正しい関係にある者に与えられる祝福が長寿、平安(新約では救いの意味)、いのちです。これは、霊的な永遠のいのちに至る祝福です。地上の、物質の、一時的な祝福ではなく、天の、霊的な、永遠の祝福はまことの救い主、イエス・キリストによって与えられます。
箴言には、いのちの木のほかに、いのちの泉、いのちの道ともあります。いのちの道はいのちに至る道という意味と、いのちに属する道という意味でもあります。
その反対は、死への道、よみ、滅びの淵、やみなど、悪者の運命として書かれています。これは神をあざける者がいく道と聖書は言います。
【主】を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。
(箴言1:7)
箴言の中心聖句でもあります。
主を恐れることは知恵であり、主をあざける者は愚か者です。そして愚か者は、なまけ者でもあります。主を恐れることなく、本当の友にも、隣人にもなることはできず、人の徳を高めることばを発することもできません。夫婦、親子、兄弟など家族間の関係もまた、神を恐れることによって正しくされます。
神を恐れることがいのちであり、神をあざけることが死なのです。
なぜなら、わたしを見いだす者は、いのちを見いだし、【主】から恵みをいただくからだ。わたしを見失う者は自分自身をそこない、わたしを憎む者はみな、死を愛する。」
(箴言8:35-36)
神のことばとして、イエス・キリストはこの世に来られました。
イエス・キリストを信じる者は、神の知恵のことば、箴言で預言された祝福をいただいて日々、生きることができます。
天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。人はその宝を見つけると、それを隠しておいて、大喜びで帰り、持ち物を全部売り払ってその畑を買います。
(マタイの福音書13:44)