マルコの福音書11章20-25節より
2021年1月17日主日礼拝メッセージ
イエス様の言葉により、いちじくが根元まで枯れたことにペテロは驚きます。
この機会を通して、イエス様は祈りの重要性を教えられました。
祈りは長さでも形式でもありません。一番大切なことは信じることです。それも半信半疑でなく、徹底的に信じ続けることです。そのような祈りは必ず「そのとおりになる」とイエス様は言われます。
祈りは言葉です。自分の願いや問題を言葉にしてイエス様に告白できたとき、その問題は大きく解決しています。「できない」と心に信じていることは、いつまでたっても「できる」ことはありません。
内なる思いを神様に対して祈ることができたとき、その問題からあなたは解放されます。その願いや問題はあなたの側から、神様に渡されたのです。
また、真実に祈れば祈るほど、一方的に自分の思いを願うだけでなく、それに対する神様の言葉に気付くようになります。聖書の言葉が自分に対して語られるようになります。ただ自分の願いに同意してもらうのではなく、神様のアドバイスを聞く姿勢が与えられます。祈りは神様に話すことと聞くことなのです。
信仰による祈りは山をも動かします。ここでいう「山」とは誇張表現で、困難や問題を象徴します。
神様に自分の心を正直に注いで祈るとき、神様に赦していただかなければならない罪が自分にあることを知ります。そしてその時、私たちもまた、誰かが自分に犯した罪を赦さなければなりません。
その時、私たちは神様の前で平安でいることができます。神様の前に安心して進み出ることができるのです。
イエス様を罪からの救い主と信じて罪赦された者は、恐れることなく、心から信頼して祈りを捧げることができるのです。
自分の人生の中で、まことの神様が生きて働かれることを祈ることができるのです。
人生にはいくつもの山があります。その中には、決して動かない巨大な山もあります。しかし、イエス様を信じるなら、きっと、あなたはたくさんの問題や試練を乗り越えてきたことに気付くはずです。山を乗り越えてきたのです。いえ、山は動いたのです。祈りに応えて山は動くのです。信じましょう。アーメン