ヨハネの手紙 第一3章12-18節より
2022年3月20日
神さまの存在は悪人に罪の自覚を与えます。同じように神さまを信じる者の生き方が、罪人たちに反感をもたせます。クリスチャンは地の塩、世の光です。
悪魔は24時間365日、罪の中にいます。しかしキリストはいつも愛と正しさをお持ちです。憎しみは、自分の悪を隠すために人を殺します。愛は、人の罪のために命を捨てます。
人類最初の殺人は兄弟殺しでした。兄のカインは悪魔に属する者で、神さまに属する弟のアベルを殺害しました。
カインは殺人の罪の重荷を負いきれないと神さまに赦しを願います。神さまは、カインに赦しのしるしを与えられ、彼を救います。
この出来事は、罪人に対する神のあわれみを表わしています。神さまの罪に対する厳しさと同時に、神さまの愛による、ひとり子キリストの十字架の罪の身代わりによる赦しです。
愛とは一体何でしょうか。聖書には神は愛とあります(Ⅰヨハネの手紙4:8)。神さまはあなたの罪を赦すためにキリストを十字架につけてくださったことにより、私たちは神さまの愛を知ることができます(ローマ5:8)。
キリストはたましい(ギリシャ語のプシューケー:最高に価値ある命の意味)を十字架で捧げてくださいました。
あなたが罪から離れ、命を豊かにするために、ご自身の価値ある命を捧げてくださいました。カルバリの十字架の上で死なれたキリストを知るとき、すべての人は神の愛がわかるのです。
罪赦された者は、日々、自分のもてる最高のものを捧げて生きていく者とされます。愛とは自分の価値あるものを相手に与えることです。愛を行う者は死から命へ移された者です。人がまことに生きる姿です。
最高の愛、キリストの愛を生きる姿を通してあらわして、キリストの愛を伝える者として。
あなたは神さまにとって最高に価値のある存在なのです。
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ書34:4)