マタイの福音書26章6-13節より
2023年2月5日
<聖書>
さて、イエスがベタニヤで、ツァラアトに冒された人シモンの家におられると、ひとりの女がたいへん高価な香油の入った石膏のつぼを持ってみもとに来て、食卓に着いておられたイエスの頭に香油を注いだ。弟子たちはこれを見て、憤慨して言った。「何のために、こんなむだなことをするのか。この香油なら、高く売れて、貧しい人たちに施しができたのに。」するとイエスはこれを知って、彼らに言われた。「なぜ、この女を困らせるのです。わたしに対してりっぱなことをしてくれたのです。貧しい人たちは、いつもあなたがたといっしょにいます。しかし、わたしは、いつもあなたがたといっしょにいるわけではありません。この女が、この香油をわたしのからだに注いだのは、わたしの埋葬の用意をしてくれたのです。まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、この福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」
(マタイの福音書26章6-13節)
<説教>
イエスの十字架の時が近づいていました。弟子たちは、イエスが間もなく死ぬという実感も緊張感もありませんでした。しかし、ある女はイエスと過ごす機会はもうこれが最後かも知れないと感じました。
彼女は、自分の持ち物の中で一番高価なもの、女性にとって大切な香油をイエスに惜しみなく捧げました。それが、彼女が大切な愛するイエスにできる最高のことでした。彼女はイエスに愛と信仰を表わしたのです。
愛とは愛することと愛されることによって完成します。愛されることだけを願う人生は干からびた人生です。あなたが誰かに愛を与えるとき、人生は豊かな愛と喜びの素晴らしいものとなるでしょう。
愛を与えるとは、あなたの大切なもの与えることです。一緒に時間を過ごすこと、聞いて理解してあげること、手助けする事。また、ゆるしを与える事、信用を与える事です。あなたの心の中でわかること、あなたが願うことを、他の誰かに、あなたから与えるのです。
あなたの笑顔は素晴らしいです。微笑みながら優しい言葉をかけてあげてください。その人はきっと励まされ、勇気を与えられるでしょう。
人生には一回きりしかない機会があります。その機会を逃せば、もう同じ場合、同じ人、同じ時、同じ感動は再び戻ってきません。多くの人は、よいことをする機会を失ったために、人生を悲劇に終わらせているのです。
しかし、イエスを信じる者は、罪赦されて、自分のかたくなさや自我、プライドから解放されて、心から素直に生きる者に変えられます。何度も失敗しながらです。イエスはあなたを絶対あきらめません。
イエスの愛に赦され、感動して生きる者は、愛だけがすべてであり、愛は無限であることを知るのです。弱かろうが、ちっぽけな存在であろうが、誰もが愛を与えることができます。イエスと共に生きる者はその素晴らしさを知り、体験していくのです。イエスに出会うなら、あなたはいかなるものも包み込み受け止める愛を、無尽蔵に与えることができます。あなたの愛はいつまでも残ります。