マタイの福音書26章14-25節より
2023年2月12日
<聖書>
そのとき、十二弟子のひとりで、イスカリオテ・ユダという者が、祭司長たちのところへ行って、こう言った。「彼をあなたがたに売るとしたら、いったいいくらくれますか。」すると、彼らは銀貨三十枚を彼に支払った。そのときから、彼はイエスを引き渡す機会をねらっていた。さて、種なしパンの祝いの第一日に、弟子たちがイエスのところに来て言った。「過越の食事をなさるのに、私たちはどこで用意をしましょうか。」イエスは言われた。「都に入って、これこれの人のところに行って、『先生が「わたしの時が近づいた。わたしの弟子たちといっしょに、あなたのところで過越を守ろう」と言っておられる』と言いなさい。」そこで、弟子たちはイエスに言いつけられたとおりにして、過越の食事の用意をした。さて、夕方になって、イエスは十二弟子といっしょに食卓に着かれた。みなが食事をしているとき、イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちひとりが、わたしを裏切ります。」すると、弟子たちは非常に悲しんで、「主よ。まさか私のことではないでしょう」とかわるがわるイエスに言った。イエスは答えて言われた。「わたしといっしょに鉢に手を浸した者が、わたしを裏切るのです。確かに、人の子は、自分について書いてあるとおりに、去って行きます。しかし、人の子を裏切るような人間はわざわいです。そういう人は生まれなかったほうがよかったのです。」すると、イエスを裏切ろうとしていたユダが答えて言った。「先生。まさか私のことではないでしょう。」イエスは彼に、「いや、そうだ」と言われた。
(マタイの福音書26章14-25節)
<説教>
ユダヤの最大の祭り、過越しが近づいています。
祭司、長老たちは、イエスをだまして捕えて死刑にする陰謀を企てますが、祭りの間は民衆の騒ぎを恐れていました。イエスの十字架の背後には人々のねたみがありました。
イエスの12弟子のひとりイスカリオテのユダは祭司長に銀貨30枚でイエスを売り渡します。彼にサタンが入ったとありますから、イエスの十字架の出来事の背後にはサタン(悪魔)の働きがありました。
ユダの裏切りによって、祭司、長老たちの思惑とおりにいかず、イエスご自身の予告通り、過越しの祭りにイエスは捕えられ、十字架に渡されました。ユダ自身もイエスが死ぬとは考えていなかったでしょう。
では、十字架の出来事は偶然おこったことなのでしょうか。
いいえ、十字架の出来事は、イエスが主権的に、イエスが十字架の道を選び取られました。聖書の預言が成就するためでした。長いイスラエルの歴史を通して、神は聖書にはっきりと定めておられました。
ユダヤの歴史で最も大きな出来事は、出エジプトと言われる、奴隷からの解放と新天地の約束でした。その救いは、小羊の犠牲の血による、滅びのわざわいからの過越し(救い)でした。
この過越しの犠牲の子羊として、イエスは十字架で死なれました。
最後の晩餐は、最期の過越しの食事でもありました。また、最初の聖餐式でした。
教会で、今もこの聖餐式が守られ、2000年前の出来事であったイエスの十字架の罪のあがないが忘れられたことは一度もありません。
あなたもイエスを信じるならば、過越し(救い)があり、出エジプト(解放)が起こります。あなたの罪が赦され、まことの自由が与えられ、あなたの人生は神の御国に入ります。
まことの救い、まことの解放が神の定められた十字架につけられたイエスにあります。
また、彼らが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、弟子たちに与えて言われた。
「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」
また杯を取り、感謝をささげて後、こう言って彼らにお与えになった。
「みな、この杯から飲みなさい。
これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。ただ、言っておきます。わたしの父の御国で、あなたがたと新しく飲むその日までは、わたしはもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありません。」(マタイの福音書26章26-29節)