マタイの福音書26章30-35節より
2023年2月19日
<聖書>
そして、賛美の歌を歌ってから、みなオリーブ山へ出かけて行った。そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたはみな、今夜、わたしのゆえにつまずきます。『わたしが羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散り散りになる』と書いてあるからです。しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先に、ガリラヤへ行きます。」すると、ペテロがイエスに答えて言った。「たとい全部の者があなたのゆえにつまずいても、私は決してつまずきません。」イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」ペテロは言った。「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。」弟子たちはみなそう言った。
(マタイの福音書26章30-35節)
<説教>
最後の晩餐でユダがイエスを裏切りました。その後で、イエスはさらに弟子たちに、あなたがたはみな、私を裏切ると宣告します。そうです。十字架の前に、イエスの弟子たちはすべてイエスにつまずいたのです。
ユダは自分の欲のためにイエスを裏切りました。ペテロは自分は絶対大丈夫だという自信、過信によってイエスを裏切ります。
誰も自分の頑張りや努力によってイエスを愛して、従い続けることはできません。自分こそ弱い者だ、罪深い者だと認めるする者こそが、神に助けを求め、悔い改めてイエスに従うことができるのです。
ペテロは、鶏が鳴く前に3度イエスを知らないと言うイエスの予告通りに、イエスを否みました。彼はイエスを間違いなく愛していました。しかし人間の愛には限界があるのです。
しかし、ペテロはイエスの弟子としての大失敗、恥を隠そうとせず、聖書の中にはっきりと表わしました。それは、弱さや失敗や罪深い者をイエスはゆるして、愛して下さる方であることを皆さんに知ってもらいたかったからです。
イエスを愛していくとき、あなたは必ず、自分の罪深さや汚れを知ることでしょう。しかしイエスは、あなたの弱さやどうしようもない姿をご存知なのです。その上で、イエスはあなたを愛してくださいます。あなたをその問題、苦しみ、絶望から救い出すためにこそ、イエスは十字架で死んでくださいました。
弟子たちはイエスを裏切りましたが、イエスが約束されたのは十字架で死んだ後、よみがえり、弟子たちとガリラヤで会うことです。
自分を裏切って離れ去っていく弟子たちすべてのことをご存知でした。しかしその先にある神の約束は赦しと愛です。
あなたはイエスの十字架のゆえに愛されています。赦されています。