ヨハネの福音書10章7-15節より
2023年9月10日
<聖書>
そこで、イエスはまた言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしは羊の門です。
わたしの前に来た者はみな、盗人で強盗です。羊は彼らの言うことを聞かなかったのです。
わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。
盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。
わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。
牧者でなく、また、羊の所有者でない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして、逃げて行きます。それで、狼は羊を奪い、また散らすのです。
それは、彼が雇い人であって、羊のことを心にかけていないからです。
わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っています。また、わたしのものは、わたしを知っています。
それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同様です。また、わたしは羊のためにわたしのいのちを捨てます。
(ヨハネの福音書10章7-15節)
<説教>
羊は、イスラエル人が最も愛した動物です。その歴史はとても古く、神さまに造られた最初の人アダムの子どものアベルは羊を飼う者でした。
羊は、おとなしく、素直で従順です。しかし、愚かで弱く、迷いやすい動物でした。そんな羊が生きていくためには、彼らを導く羊飼い(牧者)が必要でした。
羊飼いは羊の群れを牧草地に導いて食料と水を飲ませます。また、羊飼いは大切な羊たちを熊や獅子といった野獣から守ってくれるのです。
聖書は、この羊飼いと羊の関係は、神さまと人間の関係であると教えています。
イエス様は、愚かで弱く、迷いやすい人間を正しく導いてくださいます。そしていのちを豊かに与えてくださいます。そのいのちとは、イエス様と共に生きる者に与えられる喜びと平安です。感謝して愛をあらわして生きることです。
どんなに立派な教師や指導者の言うことを聞いても、イエス様が与えるようないのちをいただくことはできません。
羊は、羊毛(ウール)、凝乳(チーズ)、食肉、天幕を覆う皮、革袋、角笛、聖油を入れる角などいろいろなものに使われます。しかし、代表的な用途は、神さまに捧げられる、いけにえ(捧げもの)です。
イエス様は、羊飼いでありながら、神さまに捧げられる小羊として、十字架で、まことの人間の罪の身代わりの捧げものとして死んでくださいました。
わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。
(ヨハネ10:10)
イエス様は、罪のないきよいご自分のいのちを、お捨てになって、罪に死んでいる人間にいのちを与えてくださったのです。
ベテランの羊飼いは、自分の愛する羊たちの顔と名前を全部覚えています。50匹ほどの自分の羊たちが全部そろっているか、一目見てわかると言います。
イエス様は、ご自分の愛する子どもたちを知っておられます。その名前をご存知です。あなたは名前で呼ばれたら嬉しいでしょう。イエス様は、あなたを名前で呼んでくださいます。
イエス様は、あなたのすべてを知っておられます。イエス様が、あなたの心の中の秘密までご存知なのはちょっと都合が悪いでしょうか。本当の親友や家族とは、自分のいい面だけでなく、そうでない面も知ってもらうことではないでしょうか。
イエス様は、ありのままのあなたを受け入れてくれるお方です。その時、安心と本当の自由と喜びが湧いてくるのではないでしょうか。それがイエス様が与えてくれるいのちです。
イエス様は、あなたが心から本当に喜んで、優しく愛をいっぱいあらわして人生を楽しむことを願っておられるのです。
イエス様の願いは、あなたがイエス様を知ることです。
あなたがイエス様を愛して生きることです。この方から離れないで生きることなのです。
聖書の中にこのことを、喜んで感謝しているみことばがあります。
【主】は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。 主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。 私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。 まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、【主】の家に住まいましょう。
(詩篇23篇1-6節)