神様 義母を有難うございましたⅠ
〜「お母さん、お誕生日おめでとうございます」〜
作:牧師夫人 佐多多視子
小さくて可愛くて、でも気丈な義母が去る6月28日に95歳11か月の生涯を閉じました。当日朝食の後、着替えをし、礼拝に出席しようとしていた時、少し食物を吐きました。病院から指定された注入量(鼻からチューブで胃に流し込む流動食)に対し「やっぱり量が少し多いよね。明日から量を減らそう」と主人と話していると、むせ始めて苦しそうにしていました。
「私がそばにいるので今朝はあなたが教会学校に出て…(どちらかが出席します)」と言って、礼拝の時間になるまで、母の手を握って「お母さん頑張って下さいね」と言って励ましました。
礼拝が始まる頃になると息遣いが少し穏やかになったので、「お母さん、時々見に来ますからね」と言って、礼拝に出ました。その後10分おきに様子を見に上がりましたが、その度に息は穏やかになってきているように見えました。
礼拝の終わりと同時に(11時15分)2階の母の所に行くと「プフッ」と息をしたので、眠っているんだわと思い、1階に降りて姉妹たちと分級をし、掃除をしてから、主人と食事を済ませました。
それから母のおしめを替えようと、(母は人口肛門をつけていたので、排尿だけの場合と排便がある時とは準備が違うので)主人が様子を見に行きました。すると、「どうも、息をしていないみたい」と言うので、「え~っ、ちゃんと見てよ」と笑いながら母の所に行きました。
母の頬や首筋を触ってみると温かさが伝わってきます。しかし、「お母さん、お母さん」と呼んでも反応がありません。そこで、主人が病院に電話しますと、休日にもかかわらず先生が駆けつけてくださり、母の様子を調べ、そして12時45分「御臨終です」と言われました。
その言葉を聞くまで私は母にはまだ生きていて欲しい、100歳まで生きて欲しいと願っていました。
さて、今回から数回にわたり中度と重度の間の認知症の母がわが家に来てからの様子を、様々な視点から記してみたいと思います。これは今から介護される方が、思わぬ症状や変化に、驚き、怪しみ、恐れ戸惑うことが、わずかでも軽減され、少しでも平安の内に日を過ごしていただけるようになれたらと願いながら報告させていただこうと思うからです。
報告の中に良い案だと思われるものがありましたら、ぜひ採用してください。また、私が頭が良く、愛情が深いと勘違いしないでください。良い案は神様が与えてくださったものです。
○部屋や居間の貼物
母が家に来てまずしたことは、家のあちこちに『お母さんの部屋』とか『トイレ』とか『K君の部屋』。また母に座ってもらう居間の正面には『ここは喜入町7208―1、お母さんの名前は佐多律子。一緒に住んでいるのは次男・洋明、その妻・多視子、その子・K。』等いろいろ書いて貼りました。
また、継母に育てられた母は数年前「お母さん、お誕生日おめでとうございます」と言うと「私そう言われたかったの」と答えられたので、『お母さん、お誕生日おめでとうございます。○○歳になりました。』と言うのをベッドに休んだ時、見られるように吊り棚の下に貼りました。そして、『お母さん洋明さんを生んで育てて下さってありがとうございます』と書いて扉に貼りました。
ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。ローマ11:33a
ああ、あなたは心のうちの真実を喜ばれます。それゆえ、私の心の奥に知恵を教えてください。詩篇51:6
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