神様 義母を有難うございましたⅡ
〜「私昔、小田って言ってたのよね」〜
牧師夫人 佐多多視子
○母の介護・トイレ篇
認知症の人に限らず、介護において気をつけたいことは、排尿の場合だと思います。義母は義兄や義弟の家でおもらしをしたというのを聞き、私たちから見たら当たり前に思えることが、母には難しく困難なこと(例えば、尿意を催してから排尿までにトイレに行きつかないとか、新しい場所では「トイレ」の言葉を思い出せないで聞けないこと)もあるのだと思いました。
そこで、我が家に来た時はトイレのすぐ隣の部屋に居ていただくことにして、トイレのドアは開けたままにし、トイレの点灯スイッチが分からないかもしれないので、トイレの中に豆電球のスポットライトをつけたままにしておきました。
トイレが近くにない場合や、間に合わなくなったら、ベッドの横にポータブルトイレを設置して差し上げたらと思います。私たちもしばらくしてからはその様にいたしました。
○母の歴史・略歴篇
母が家に来た時、前回お話ししたように中度と重度の認知症で、もう薬を投与しても元に戻ることはないということ、また前年に吐血した母は老人性胃潰瘍と言うことで、その進行を止める薬も投与することはできませんと言われました。
しかし、主に信頼する者は望みを捨てません。
私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の望みは神から来るからだ。詩篇62:5
さて、私は母の系図を書いてみましたが、なかなか母が理解するのが難しいようなので、それでは簡単な文章にしてみようと思い、母の実姉にお電話して略歴を聞き、母が破ったりしないように少し分厚い紙にマジックで書いてみました。そして、母が少しでも思い出せるように、母の横に座って毎日一緒に一文字ずつゆっくり読みました。
ある時、知覧から喜入に下る交差点で「小田代」と言う標識を見て「私昔、小田って言ってたのよね」と言ったときには、大拍手をして「そうです、そうです。お母さんは昔小田さんだったんですよ。」と言って一緒に喜びました。
略歴を最初見た頃の母は「私、佐多律子っていうの?私は結婚したの?私は子供産んだの?」と言っていたのに、母の記憶が少し蘇ってきたのだと思ってとても嬉しかったです。
また、海辺を車で走っていた時、「私、海の近くに住んでたのよね」というので、「そうです。そうです。お母さんはお父さんの仕事で屋久島に住んでいた時、海の近くにいたのですよ。そして、洋明さんがいつまでも帰って来ないので、お母さんが呼びに行ったら、洋明さんはお友達と船の中に隠れていたんですって、…。」「そうなのよねぇ」と書いてないことまで少しずつ思い出してきました。
そして、主人が自分の息子だと分かり、私はそうではないと分かってくると、主人には遠慮なく我が儘になりました。
更に母は小学生時代の事、女子高時代の事、就職してからのこと等いろいろ思い出して話をしてくれるようになりました。
約束された方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。ヘブル10:23
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